
宿毛市、すくも湾漁協中央市場の入り口で、とても魅力的な赤い提灯を発見した。大判焼きである。ボクは甘いもの好きであるが、大判焼き、今川焼き、鯛焼きは自分を失うくらい好きだ。きっとサッポロビールの柴田さんは驚いたと思うけど、何が何でも大判焼きだ、と脳みそに一億個くらい大判焼きの文字が蠢いて、他のものが入り込む余地がなくなってしまった。買ってうれしいのは大判焼きの温かさだ。達磨の絵が焼き付けてあり、「すくも」とある。

ボクは庶民的な下世話な菓子が好きだ。もちろんおしゃれなものもいいし、京都滋賀などにあるツンと取り澄ましたような菓子だって嫌いじゃない。でもそのような見た目のいい菓子というものを見つけても、脳みそからいきなり手が出るほど食いたいか、というとそうでもない。今回、「道の駅 大月 ふれあいパーク」で見つけた有田有為堂製菓「羊羹巻」なんざー、気がつかない内に手に持っていた。心と体が同時に欲しがったためで、本能買いという。日本中に「羊羹巻(ようかんまき)」があり、いろんな形や生地のものがあるが、カステラ生地がいちばんボク好みだ。あまりにも好きなタイプなので、そーっと見るだけにしてもよかったけど、おいしそうな磁石に引っ張られて口に放り込んでいた。荒いカステラ生地のパサっとしたところに甘さ控えめ、柔らかめの桜色の羊羹がくる。また、大月町に行けたら、買ってしまう、だろうな。羊羹は決して本格的なものではなく、子供口のボクの心をトントンとたたくような味だ。有田有為堂製菓 〒788-0302 高知県幡多郡大月町弘見2108−1

半世紀以上前、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)貞光小学校の修学旅行は高知だった。徳島県美馬郡の小学生はみな高知が修学旅行先だったようだ。高知城、牧野植物園、龍河洞、桂浜・龍馬像などに行き、尾長鶏を見た記憶がある。ボクなど旅行先で泊まるのが初めてだったので、まずは旅館に興奮した。このところ、中村吉右衛門や北杜夫の半生を読むと、学齢前からたくさん家族旅行をし、ホテルなどに泊まっている。貞光の子供達は正真正銘の田舎者だった。お土産を買うお金と、小遣いを持たされて行ったが、買ったものを同級生に聞くと刀とか木刀、ペナントだというが、ボクは食べ物ばかり買っている。家族などにも教わったのもあるが、買ったものは金槌がついているカツオかクジラの形の飴、ケンピだ。

千葉県でも千葉市くらい茫洋としてつかみ所のない都市はない。政令指定都市で100万人近い人口がいるのに、どこにも特徴が見いだせないでいる。千葉県立博物館の知り合いとは飲食をともにしたこともあるが、千葉だ! という感じがどこにもない。前回の千葉市内で、千葉市民に名物を聞いたら「落花生ですかね」と答える。ほかにはなにか? というと「なにもないんです」。脇にいた子供が「ナシもあるけどね」と言った。仕方なく市内中央の和菓子店『落花生の大和田』の落花生最中を駅前で買う。つぶあんと、栗入りの白あん入りで、おいしい気がした。だれか千葉市らしいものって何か? 教えてほしい。

サルトリイバラの葉で餅をくるんだものを、滋賀県で「がらたて」、三重県尾鷲市で「おさすり」、和歌山県・島根県で「かしわ餅」という。地域ごとに呼び名が違うので呼び名採集という意味でも面白い。高知県では安芸市、室戸市・大月町では「しば餅」だ。今現在、高知県では「しば餅」以外は見つけていない。

暑さのせいで体はぼろぼろだ。慢性的に疲れているし、体が変に熱っぽい。新潟県新潟市のスーパーで、「はっか糖」を買ったのは体が涼を欲していたからかも知れぬ。白いチョークを思わせる物体を口に入れると、あっと言う間に溶ける。溶けながらハッカの香と刺激(?)が口の中を満たす。冷や冷やとして、ただただ甘い後味がいい。「はっか糖」を子供の頃、実際に食べたかどうか記憶にないが、なぜかしら懐かしい。

オヤジでもジジイでもだれでも気軽に入れる、昔ながらの甘いもん屋を探して東奔西走。急激に減少している個人商店を大切にしたいのもある。愛知県一色への旅の帰り道、新城市で和菓子店を見つけた。新城市、『さかえや』という小さな店である。新城市は長篠のある町というくらいの認識しかない。信濃から東海、尾張地方への道筋に当たるなど、こんどじっくり歩いてみたい町である。小さくて素朴な店だが、入ったら品揃えがいい。正面には落雁がきれいに並んでいる。あんこ族なのでできるだけあんこものを選び、話を聞くと、やはり飾ってある落雁などで有名だったらしい。買い求めたのは、田舎ういろう、桜並木、桜餅(道明寺)、柏餅、酒饅頭、野田城巻。

新潟県上越市で「寿羊羹」を買って食べてから、まさかの羊羹好きになってしまった。これなら赤坂某店の「夜の梅」だって、今食べたらうまいと思うかも知れない。ちなみに「あんこ」が好きで和菓子が好きなボクにとって、せっかくの「あんこ」のもとである小豆などの豆類の「あんこ」感を取り去った羊羹がどうにも許せなかった。ボクの「あんこ」ちゃんを返してくれ! と思ったほどだ。滋賀県周辺の蒸し羊羹である、「丁稚羊羹」は好きだけど、「練り羊羹」ときたら、「あんこ」様の「あんこ」であることのよさが感じられなかったのだ。でも、今、ボクは「あんこ」と同じくらい「練り羊羹」も好きだ。好みがころころ変わるのがボクのボクらしさで、ころころ変わるのが進化という名の変化である。だから食通という進化を止めた存在が嫌いなのだ。さて、『御菓子所 絹与』は豊橋市市街地のど真ん中にある。前の通りが旧東海道である。京に向かって東海道宮宿(熱田宿)手前では最大の宿、吉田宿で、吉田藩の城下町でもある。愛知県でも屈指の人口を誇り、歴史のある町だともいえるだろう。この店から西に豊橋市の老舗が多く、これが江戸時代の吉田宿の中心地なのかも知れない。そんな豊橋で見つけた『御菓子所 絹与』は享保年間創業とあるので、300年の歴史を持つ老舗中の老舗だ。昔、和菓子屋を見つけて、入って、羊羹中心の店だったら、がっかりして回れ右していたものである。でも今回は羊羹好きの新参者として、一棹(さお)買ってきた。店のお姉さんも美人でよかった。これを5日間にわたっておめざに食べる。落語家の羊羹食べのような、ヤな感じの舌触りではない。ちゃんと小豆の粒子が感じられて、歯にもつかない。小豆の渋の残り方も絶妙だと思う。小豆にはうるさいつもりだが、非常に上等なものを使い、その上等な小豆を生かせていることも明白。羊羹は高いものだが、5日で割れば安いものだ。豊橋に行ったら、必ず『御菓子所 絹与』に寄りそうである。

出稼ぎに出ると時間を持て余すことがある。神奈川県湯河原町はもちろん温泉町であり、関東では非常に知名度が高い。じゃあ、何があるというと、温泉であり、有名人の住む町であり、別荘地でもあるのかも。むりやり連れてこられないと、来ない町で、時間を持て余したので、このたびは、ついついボク好みではない名物とやらを買ってしまった。さて『小梅堂』は1910年創業なので湯河原駅がなく、それまでは小田原〜熱海は人が押すという変な乗り物があったんじゃなかろうか?夏目漱石、尾崎紅葉、国木田独歩、与謝野晶子、芥川龍之介、高浜虚子、安井曾太郎(画家)、島崎藤村、などなど、今だったら宮部みゆき級がどっさりやってきているといった感じな、のね。

新潟県妙高市新井の朝市で真っ先に買ったのが、この「いも餅」である。「サツマイモの餅ですよ」新潟県でサツマイモというのも意外であったので、買ってみた。ボクの生まれた徳島県にはあんこをサツマイモの生地でくるんだ、「いもだんご」がある。見た限りではまったくの別物で、話を聞くと中にはなにも入っていないという。

2024年12月27日、新潟県上越市高田の朝市で、ちょっとだけのんびりする。午前2時には一印上越魚市場にいたので、ボクにとって気付け薬的な意味を持つ朝市のコーヒーがやたらにおいしかった。さて、朝にあったことをテキスト化したいと無料駐車場のある高田城を目指していたときに見つけたのが、細い路地裏にあった笹川菓子店である。こんなとき店の前に車がとめられるか、否かが重要なのだけど、ちょうど店の前の車が出ようとしていたところだった。

新潟県に行くと、「笹だんご」か「ちまき」は必ず買うことにしている。両方売っているときもあるけど、今回「笹だんご」は見つけられなかった。考えてみると上越市には「笹飴」というものもある。これが夏目漱石「坊ちゃん」に出てくる笹飴なのかはわからないけど、こちらも何度か買ったことがある。直売所ではササの葉が売られているくらいなので、新潟県は日常的に笹を使うところなのだろう。

別に取り分けあまいものが好きではないが、福井県に水羊羹がとても多いのを発見したので、新潟県はどうなんだろうと思っていた。いつもながらに過密スケジュールなので、妙高市・上越市で1軒ずつしか和菓子店に立ち寄れなかった。でも2軒とも水羊羹があった。新潟県妙高市新井『やはし屋』のは非常に小豆の味が濃い。かわりにツルン感があまりない。あんこ好きなので、ボクが妙高市に住んでいたら、毎日でも食えそうな、味だ。

別に特別甘いもんが好きではないが、目の前に和菓子店があると吸い寄せられてしまう。妙高市、上越市でも吸い寄せられて、抗せなかった。どの店にもあったのが「寿羊羹」という同じ名の羊羹である。同じような熨斗のついた袋に入っていて、大きさ的にも同じに見えた。写真/妙高市・上越市共通の熨斗つきの袋。

三ノ輪駅からほど近く、過去に一度だけ買ったことがあるが、以後いつ行ってもしまっている店がある。吉原土手にそって歩く前に、念のために行ってみたら開いていた。最近、餅屋系和菓子店が急激に消滅しているので、安心した。

滋賀県、ちょっとだけ福井県の旅では、あまりたくさん甘いもんが買えなかった。ただ、福井県嶺南地方に、水羊羹の「丁稚羊羹」を発見できたのが収穫であった。2軒、2パックしか食べていないが、非常にうまい。滋賀県の蒸し羊羹タイプもいいが、水羊羹もよろしおま。

滋賀県、ちょっとだけ福井県の旅ではあまり甘いもんが買えなかった。ただ、今回一番アタリだと思ったのが福井県若狭町の菊水堂である。買ったもの総てが平均点以上だし、福井県嶺南の甘いもん文化が垣間見られた。とくに面白かったのが「いなか」である。滋賀県の「いなか」、「いなかまんじゅう」と同じ物で、あえて言うと、これまた日本各地に散らばる「吹雪」と同じものなのである。ちなみに東京都内でも、「いなか」はあり、この嶺南、滋賀県のものと同じである。それにしても「いなかまんじゅう」、「吹雪」の呼び分け、もしくは系統がわからない。系統樹がぷつりと切れている。

基本的に西日本は丸餅、東日本では角餅だ。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)は当然丸餅圏である。餅つきをして1個の大きさにならないときがあるが、これはボクたち子供があんこやきなこなどをつけて食べた。今回の新潟旅、上越市・妙高市は角餅圏で、まず、のし餅にする。少し固まったら、長方形に切るのだが、長方形にならない切れ端が出る。これが「はしもち」だ。このようなものを朝市で見つけるとついつい全部買いするボクだから、いざ全部買い、と思ったら全店舗で2袋しか残っていなかった。「これなあに」いかにもエトランゼ(きんきんの影響)らしく聞いてみる。「はじもち、ねや」隣にいたオバチャンが、「あんた訛ってる。はしもちだ」要するに妙高市・上越市で、この切れっ端を「端餅」というのだが、「はじもち」という人もいるし、「はしもち」という人もいるのである。言語採取の基本は両方採取する、だ。ときどき無能な言語採取者がいて、言語を正しいとか正しくないとか区別するが、このような人間はバカそのものである。言語は総て正しい。丸餅圏生まれのボクはふむふむ、だった。

長浜に来ると、といったもので、要するに徳島県人に馴染みのサルトリイバラの「かしわ餅(一般名称で植物の葉、を膳に用いる餅という意味)」は買わずにいられないのである。ボクの生まれた徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)では餅ではなく小麦粉生地を蒸かしたものだったが、滋賀県のものはまごうことなく餅である。ちなみにカシワ(柏)を膳(かしわ)にする東日本と、サルトリイバラを使う西日本に分かれる。滋賀県が必ずしも「がらたて(サルトリイバラ)」なのかわからないが、有間皇子の歌のように、いちばんありふれた、手に入れやすい葉を膳にしたその名残である。念のために滋賀県長浜市西浅井でサルトリイバラを探したら、いとも簡単に見つかった。

この日は琵琶湖の西と東の港で出港しないというのを確認したので、朝ご飯は相変わらず、お菓子と柿だけだった。それにしても琵琶湖は北風に弱い。近江八幡市の市街地を迂回していてパン屋を発見した。もう焼け糞なのでパンでもなんでもいい、と思って入ったら、和菓子店でパン屋でもある店だった。入った途端に想い出した、滋賀県は丁稚羊羹もあるけど「ういろ」もあるでよ、ということを。

小学校の卒業式でもらったような、もらわなかったような。そんなおぼろ気な記憶しかない「紅白まんじゅう」である。めったに食べる機会がないが、とても好きだ。紅白なのにぱっとそたところがなく、実に地味。ボクの勝手なイメージでは、それほど歌のうまくない、顔立ちもよろしくないのにド派手な着物をきた演歌歌手のようだ。ボクの記憶の底にある1970年以前の色というか、古めかしさがある。それにしても、「紅白まんじゅう」が大好きで困る。大の前に一億個くらい大をつけてもいいくらい、かも。「紅白まんじゅう」とは、こしあん入りの「おぼろまんじゅう」の皮のあるやつだ。「おぼろまんじゅう」が好きってのもある。考えて見ると「紅白まんじゅう」の「おぼろまんじゅう」タイプもありそうである。問題はめったに食べられないことだ。ボクの故郷、徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町貞光)の幼児の時代は、家の前にある和菓子の『一屋』で、蒸かしているときだけ手に入るもので、数えるほどしか食べていない。

現在は石垣だけしか残っていないが、水際にあった安土城跡周辺は、昔は非常に美しいところだったという。高度成長期の広大な湾と内湖を埋め立てで、見る影もない。この埋め立てで湖魚が極端に減少し、漁師さんたちは大きなダメージを受けたらしい。田畑が広がっているものの、減反政策の今、美しい安土を台無しにしてなんの意味が合ったんだろうと思う。さて、そんな安土駅前の和菓子店、『万吾樓』で買ったのは、滋賀県の典型的な「でっち羊羹」だった。小豆入り半分、プレーンな蒸し羊羹半分で、非常にボク好み。「でっち羊羹」食ったぞ! という気になれた。

練り羊羹はほどほどに好きだけど、買ってまで食べない。蒸し羊羹は、身体が蒸し蒸ししてくるくらい好きだし、食いたい。蒸し羊羹にいつも恋しているボクでした。蒸し羊羹のためなら唐天竺にだって行ける、のだ。念のために、近江国滋賀県に行ったら、なにわともあれ「丁稚羊羹(でっちようかん)」である。近江というだけで、あの、竹皮のぺたっとくっついた蒸し羊羹が一反もめんのように頭の中をひらひらする。これを「丁稚羊羹」の呪いという。さて丁稚羊羹が「なぜ、丁稚羊羹」かは次に持ち越す。今回最初の丁稚羊羹は、福井県小浜市に近い若狭町で買った。丁稚羊羹食うぞ、と思って箱をあけたら頭をぶん殴られるくらいに驚いた。ここでちょっと寄り道。1945年以降も続いた若狭・三方からの人力水産物流通で、福井県若狭町はとても重要な地なのである。今回は寄れなかったが同町、十村(とむら)は三方からの人力流通の拠点・里のひとつだったし、有名な熊川宿は若狭からの水産物の集散地なのである。室町時代の散所に当たるのかもと考えている。塩サバも「さばのなれずし」も「へしこ」も、全部ではないが福井県の海から里(売り先と同じで、福井県若狭町と滋賀県北部)にもたらされた。