
八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に福島県浪江町請戸から「ふっこ」が来ていた。いわき市の『海宝水産』からで、体高があり、背が左右に膨らんでいる。触らなくても上物だ、と思えたので、いきなり確保する。体長34cm・0.6㎏なのでスズキとしては小振りである。帰宅後、下ろしながら浮き浮きしているボクがいる。「野バラ咲いてる♪」を唄っているボクがいる。下ろすのが楽しい。活け締めしたばかりのような身色だし、味見すると心地よい食感だし、とりあえず、昼ご飯のおかずにして楽しむ。うま味豊か、小振りなのに、脂の乗りがほどよい。醤油なしで食べても、おいしいのにびっくり。おいしい刺身はご飯がいい。酒の味が邪魔ですらある。それにしても20年以上前の請戸のことが思い出される。福島の水産は新しい時代を迎えているのかも。

近所のスーパーの魚売り場は定期的に見て回っている。ボクは水産生物の一般性を調べているので、これをやらないわけにはいかない。今や水産物の「一般を感じられるもの」はスーパーにしかない。売り場で唄を唄っている人がいた。「マグロはマグロ〜♪」もちろん聞き耳を立てているので聞けたというくらいの小声で。ふたりの会話はあっちのマグロはこっちの半分の大きさでほぼ1000円、こっちは半額で大きさは2倍、「同じマグロなら、これでいいわ」ということらしい。ボクのお目当てもビンナガで、国内で豊漁と聞いたから来た。残念ながら宮城県産も和歌山県産もなかった。3軒のスーパーをまわり、2軒にビンナガがあった。こちらのスーパーの産地はバヌアツで、もう一軒は太平洋産だった。せっかく鼻歌を盗み聞きしたので一冊買った。なにしろあっちの本マグロ解凍の2分の1の値段は大きい。ビンナガマグロは脂こそのっていないものの、酸味がほどよく、味がある。ボクはマグロなどなんでもいい派かも知れない。

近藤亮さん(第八松宝丸 秋田県男鹿市)に秋田県男鹿半島沖の魚を送っていただいた。中にムツが混ざっていた。これが我がサイト、最北のムツである。圧倒的に伊豆諸島以南の太平洋側に多く、日本海のものは少ないので非常に貴重である。近藤さんには感謝しかない。さて、今回の体長25cm・重さ299gの個体は、相模湾では深場に落ちていく途中のサイズである。近藤さんが釣り上げた水深も120mなので、だいたい相模湾と同じではないかと思っている。さて、男鹿沖のムツであるが、脂が乗っている。この点でも相模湾のものと変わらない。水洗いして三枚に下ろすと、包丁が微かに重い。頭に近い方は皮を引き刺身にする。ムツの脂は非常に上質でさらさらしており、下に接触するととろっと甘く感じる。身は柔らかく舌にねっとりしている。一昨年の兵庫県香住産同様、非常にいい。上物といっていいだろう。

八王子総合卸売センター、八百角でナスを買って帰ってきたら、近所に住む名前さえ知らない、立ち話だけする家族がいて、「田舎のものですがもらってくれませんか?」と手渡されたのがナスだ。百日咳(合っているかな)の子供に、子供の本をあげたお返しなのかもしれない。買ったばかりなので、と断るのも剣呑なのでいただいたら、レジ袋にぱんぱんに詰め込まれている。以後、ナス尽くし、だ。このところ連日入荷しているバライカ(スルメイカの若い個体)と一緒に、お昼ご飯にみそ炒めかな? と思ったが、みそ汁の具がこれまたナスだったので、単純に炒めて醤油味でジュって感じの「イカナス炒め」を作った。バライカは冷凍保存を保存袋のまま流水で解凍する。適当に切る。調味料は鷹の爪3分の1本だけ。ただただ多めの油でナスとバライカを炒めて、生醤油で味付けしただけ。あまりの暑さに、真面目に料理など作っていられっかい、てなもんで出来上がりに白ごまを振る。鷹の爪ちょぼっとなのにピリっと来るのは、辛いのがダメにボクがなったから。ぴりっとするのが、唯一の味の変化で、酒もみりんもなしの醤油オンリーの炒め物がそれなりにおいしい。見た目こそ悪いもののナスがやけにうまい。チンしたご飯にも合う。夏は、絶対にマジで料理しない、いつもより二倍手抜きする、が今のボクの、信条だ。

我が徳島県ではアイゴの胃と腸管をその形から「ぜんまい」という。昔は好んで食べる人がいた。実際に食べてみると非常にうまいが、かなり臭い。このうまいと、臭いのせめぎ合いが、いいのだそうだ。今でも少ないながら、「最近のばり(アイゴ)」は臭味が弱いのでおいしくない、という漁師さんすらいる。「ぜんまい」は強いうま味の塊のようなもので、その上、あの臭味が好きだったら、それはそれはこれ以上ない御馳走だろう。さて、念のために静岡県湖西市鷲津漁港で手に入れた小振りの「しゃくしゃ(アイゴ)」の「ぜんまい」を煮つけにしてみた。若い個体なので「ぜんまい」も当然小さい、にもかかわらず、非常に強いうま味があり、思わず「お、お、お」っとのけぞるほどうまい。しかも臭味が少ない。それほど臭味に強くないボクにとっても珠玉の味である。もちろん臭味はないにこしたことはないが、活け締めにした若い個体の「ぜんまい」がこんなにおいしいとは思わなかった。鷲津漁協の方で少し活かして、体の中にあるエサを吐き出させてから刺身で食べると言った方がいた。ひょっとすると活け越し(数日活かしておく)すると、小型の身だけではなく、「ぜんまい」の臭味も消えるのではないか? 次回の浜名湖が楽しみだ。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州でウメイロをたっぷり釣り上げて来た。銭州の本命はシマアジのようだが、ボクなどシマアジは脇役、ウメイロが主役だ、と勝手に思っている。昔は腐っても鯛(マダイ)などと言われたものだが、今やマダイは時季と産地と扱い次第で値が違っている。高級魚といえるのはごくわずかだ。対するにウメイロはいつでも、どこでとれても高い。昔は関東の高級魚だったが、今や全国区になりつつある。ボクがウメイロを手に入れたいと思うときは、間違いなくうまいものを食べたいときで、ウメイロの刺身は2人前だろうが、3人前だろうが一気に喉を通り過ぎてしまう。当たるとわかって引くクジのようなものだ。時季なのもあるが脂がのって口溶け感があるし、この脂が甘い。強いうま味が感じられるのも、後味がいいだけに不思議である。

ボクの故郷、貞光町(現徳島県美馬郡つるぎ町貞光)には、お好み焼き屋がいっぱいあった。小さな時、近所の『吉田屋』の、タイル張りのどっしりした台の鉄板で食べていたのは、卵なし、小麦粉を溶いて、キャベツと天かすが入っただけのもので、ソースは甘い徳島特有(イチミツボシ加賀屋のものだったかも)のものだ。少年サンデーをとってもらっていたので、他の漫画のあるお好み焼き屋に行くことが多かった。「墓場の鬼太郎」を読むためにときどき寄っていた店で、裏のアンニャが食べさせてくれたのが牛肉入り(?)の焼きうどんだ。ボクはこのとき、小学校高学年になるまで、店で焼きうどんを食べたことがなかったと思う。中学・高校と、よく焼きうどんを食べた。焼きそばよりも焼きうどん好きだった。「イカ入り」よりも「肉入り(牛肉)」が多かった。数年前、市場人集まったの無駄話中に、前後は思い出せないが、すし職人のたかさんに「焼きうどんは醤油だろう」なんて言われた、相模原の居酒屋のオヤジに「だし醤油な」とも。マグロ屋までもが「醤油味が普通だな」なんて宣う。焼きうどんにソース(お好み焼きソースもしくはトンカツソース)というのはボクだけだった。まったく関係のない話だけど、ボクにとっての焼きうどんは牛肉とキャベツだったが、大人になるとイカ(スルメイカもしくはイカを下ろしたときの鰭やげそ)ばかりになった。ちなみに大人になると外でお好み焼きを食べなくなった。そしてこのところ、バライカ(小型のスルメイカで、並べないで流通するのでバラのイカ)ばかりで焼きうどんを作っている。徳島の甘いソースがないので、生醤油だけの味付けだ。本当は、スルメイカは大型の方が焼きうどんには向いているが、バライカもうまいじゃないかと、独りごちている。たなみに写真は一人前の蒸しうどんだけど、最近では半分でよくなった。なぜか? まんじゅう、食いすぎだから、だ。

八王子総合卸売センター、福泉に、東京都神津島からクサカリツボダイが来ていた、総て体長30cm以上で鮮度もいい。「つぼだい」として有名で、干ものの魚と思われているが、希に鮮魚でも流通する。鮮魚はめったに手に入らないのが難点であるが、安くておいしい魚である。久しぶりなので、刺身にしてみた。神津島産は過去にない鮮度で、しかも皮を引くと身が真っ白である。身質は深海魚特有の脂があるなどキチジ(きんき)、オオサガ(荒神目抜け)とそっくり。脂が薄くて弱い筋繊維の中にコロイド状になってたまっているようだ。刺身は食感こそ上等とは言えないが、味は他に類をみないおいしさである。スーパーなどでもお馴染みの魚であるが、干もの・塩蔵品だけじゃない、鮮魚のよさも知って頂きたい。

冷凍保存しておいたクサヤモロ(魚はなんでもいい)の塩焼きと、四葉きゅうり(すうようきゅうり)、トマトがありました。5分以内に食べられるものを、と作ったのが市販のドレッシングで和えただけのサラダだ。余談になるが、ボクはある系統の人間とは数秒で仲良くなれる。あまり幸せな出会い(そんなに深刻ではない)ではなかったが、近所の家族と会うたびに長話をする仲になっている。その5人家族がモーレツ忙しい。夫婦が同じ職業でもあるので、今現在のように子供の病気が大流行(何が流行っているのかはわからない)しているときなど、端から見ても地獄のようだ。一家は魚をまったく食べない。「どうしたら子供が魚を食べるかな?」と聞かれたので近所のスーパーで塩蔵サバの特売をしていること、それを使ったサラダの作り方を教えた、それが今回の料理だ。手順は、焼く(この状態で保存する)、切る、混ぜ合わせる、ドレッシングを加える、の4つでしかなく、コツなどない。忙しいときなど10分で作る料理を5分で作る、ことを目指すべきだが、これなどもっと時短できる。アレンジもきく。回遊性の魚はうま味が豊かだし、ほどよく繊維質である。ほぐした身と四葉きゅうりの歯触りがいい感じである。そしてトマトの全体をまとめる感。近所の居酒屋が使っているという、優れもののドレッシングは魔法の調味料である。

せっかく浜名湖に行ったのだからと、お世話になっている『海老仙』さんで白焼きを買わせていただく。へそ曲がりと言われそうだが、7月も土用丑の日にはウナギ(ニホンウナギ)を食べない。お盆過ぎくらいまでは食べないので、これをウナギの断(だん)と勝手に呼んでいる。なぜなら店で食べるとして行列嫌いだし、取り寄せはしないし、安すぎて自然破壊になりかねない大量生産、冷凍ウナギ、輸入ウナギは買わないからだ。『海老仙』さんの白焼きをみると、背開きである。食べたら地焼き(蒸しの工程がない)である。厚みがあって膨らみを感じる。早朝のウナギ水揚げや、裂いているのを見ているので、水揚げし、泥抜きを終えた個体を揚げてすぐに裂いて、焼いたものであることがわかる。帰宅当日深夜は、白焼きの尾に近い部分をそのままあぶって酒の肴にする。浜名湖はそんなに遠くはないものの、往復の運転で体の底の方に疲れがたまっている。仮眠してもこの疲れの塊はとれない。これをウナギで追い払う。冷めた白焼きは少しあぶると表面に脂が滲み出してきて、泡立つ。ふっくらした感じが戻る。おいしい白焼きはわさび醤油が合う。この日は静岡県藤枝市、『志太泉 生酒』の冷え冷えを2合も飲む。あとは深い眠りにつくのみである。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが銭州でクサヤモロをいっぱい釣ってきた。1尾くらいいなくなってもいいだろう、と思って失敬してきた。ごめんね。クサヤモロって、勝手に連れてきたくなるほどうまいのである。問題は鮮度落ちと、血合いの変色が早いことだけなので、早めに食べれば最上級の魚といってもいい。銭州でクサヤモロというと、エサ取りとか、大物のエサといった存在に思われていそうだけど、「もろこ(マハタなどの老成魚)」とか、シマアジなどと比べて決して味が劣るわけではない。持ち帰って、すぐに三枚に下ろし、12時間後に刺身で食べたが、食感がいい上にうま味豊かである。血合いの酸味もとてもいい。

にんにくをぎょうさん入れたので、口に入れる前から、にんにく甘く感じる。時差をつけてマイワシの濃厚なうま味が襲い来る。このうま味はオリーブオイルと一緒くたになったおいしさで、スパゲッティとくんつほぐれつ口の中で混合して、セモリナ粉の風味と食感、マイワシのおいしさなどでブラックホールの中のようになる。刻んだバジルは異次元の風味というか、そこだけおいしさの離れ小島のようである。刻んだマイワシの丸干しが素揚げになり、じゃり、かりっとして非常にうまい。そんじょそこいらのイタリアンに負けてたまるかよ、って味である。

近所のスーパーで千葉県木更津産アサリを連続買い。東京湾上総のアサリが完全復活したようだ。3パック買ったのに、なぜか木更津ブルーが見つからない。これを名付け親不幸という。木更津ブルーを見つけると、幸せになるとか、ならないとか?

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウがシノビテングハギを新島沖で釣ってきた。ボクのために釣ってきたに違いないので、断りもなく連れ帰ってきた。記載されたのが2011年で、標準和名がついたのが2013年という真新しい魚だが、我がデータベースには2002年の画像が不明種として残っている。あまりにも特徴がないというか、地味すぎるので、忍び(隠蔽種)であったのかも知れない。ニザダイ科テングハギ属の魚が相模湾全域で増えているが、シノビテングハギは伊豆諸島では平凡な魚と思っていいのかも。いまだに珍魚ではあると思っているが、非常に味のいい魚でもある。ニザダイ科の魚ではあるが臭味がなく、身質がよく、血合いが美しい。7月7日の個体など脂が乗っていて、同日のシマアジよりも箸が伸びがちだった。本種に関しては、とても博物館に差し上げたくはない、そんな魚である。酒はなしの凍頂烏龍茶であるが、お茶で食べてもうまい。

八王子総合卸売センター、福泉に新潟県佐渡から入合(何種類かの魚を1つの箱に入れて流通させたもの)が来ていて、中にクロダイが含まれていた。体長26.5cm・461g で関東では「かいず」と呼ばれているサイズで、佐渡では大小に関わらず「ちんだい」だ。どう見ても野締め(漁の最中に死んでしまったもの)である。これが今年の10個体目になる。毎年20個体くらいは状態をチェックしているので、クロダイの個体数から今年も半分終わったことがわかる。佐渡の「ちんだい」は明らかに産卵後だけど、身に張りがあるし、そんなに痩せてもいない。ちなみに新潟県ではクロダイは決してやっかいな存在ではない。夏だとマダイよりも高値がつくこともある。考えてみるとクロダイを未利用魚だとか、やっかいな存在だとか言っているのは非常に狭い地域だけのことでしかない。クロダイを未利用魚と喧伝しすぎてはいけない。理由は、むしろ普通の食用魚として利用している地域でのクロダイの評価を下げることになるからだ。さて、昼ご飯に刺身、焼霜造りにする。刺身は脂こそそんなにのっていなかったものの、うま味が実に豊かだった。夏の「ちんだい」うまいじゃないか!なんて思ったほどだ。

「わかし」からにじみ出たうま味だけで夏野菜を煮たもので、2日間かけて食べる。本来は捨ててしまう尾鰭と尾柄部(尾鰭のつけ根)、かま(胸鰭まわり)から非常に味わい深いだしが出てくる。尾にもかまにもたっぷり身があってほどよく締まり、調味料と調和して甘い。「わかし」のうま味を吸い取った夏野菜がうまいのは当たり前である。ぎょうさん作ってこつこつ食べるのが煮つけというものの本来の形である。ボクはこのような平凡な料理が好きで、昔々から平凡を研究している。あたらめて、紹介させてもらうと、ボクは「け」の研究家なのである。

野に咲く花の名前は知らないけど、とても美しい。人間が努力して栽培した花の数十億倍きれいである。優れた料理も同じだと思う。名前は知らないけど、「あの素晴らしい味をもう一度」食べたいと、泣きたいほど思う、そんなものである。なんにも考えないで、それがなんとなく目の前にあるという事実がすごい。きゅうりとゆでたマグロ(Tuna)とマヨネーズが材料なのであっと言う間に出来上がる。しかも久しぶりに、非常に久しぶりに作ったのに、思った通りの味なのである。塩気はゆでたマグロだけのものだけど、実に濃厚なうまさを感じるのは、マグロが持っているうま味成分のためだ。真逆にあるのがきゅうりだけど、たぶんきゅうりのない夏は考えられないほど爽やかな味である。そしてマヨネーズ、起源はどうでもいいけど、ボクが子供の頃から食卓にあった、すごいヤツなのだ。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に北海道根室市『北海屋商店』からマイワシが来ていた。たぶん2㎏判で、上イワシとされるものである。マイワシは年間を通して産地ごとに買って比べているので、数尾買う。帰宅後、すべて手開きにする。驚くことに中骨近くが赤い。脳みそに「?」がいっぱい浮かんだが、根室から航空便(空の便を使って送られたもの)で来るには、経費から考えても上物でなければならない。脂がないのか? あるのか?皮を剥いたら皮の下にある脂の層が、牡丹雪が積もったようである。口の中に入れた途端に溶ける。醤油を落として、そのまま茶の友とする。非常に濃い目に煮だした奈良県十津川村の番茶が合う。刺身だって茶菓子代わりになる、のである。

夏だ、夏だ、夏バテで、穴子だ、なんて思う。蒸し暑いし、やることが多すぎるし、で、7月になったばかりなのに滅法バテている。こんなときには長いものがいい。ドジョウでもいいのだけど、手に入らない。浜名湖で買った鰻を食べて、今度は穴子を食べる。煮立て穴子を軽くあぶって、ツメを塗って逢魔が時に本物ビールをやる。煮穴子は舌の上で脆弱に崩れていきながら、強いうま味と、調味料の甘みが一体化する。これをビールで流す。

新子(コノシロの稚魚・幼魚)は手が届く値段になると、買うことにしている。別に生粋の江戸っ子ではないので、そんなに急いでは買わない。だいたい最初は100g、20000円くらいするので、とても手が出ない。ちなみに今回買った体長7㎝・7g前後くらいになると、開きやすくなるし、味が出てくる。袋入りで産地不明だが、実に鮮度がよく開きやすかった。開いて腹骨と背鰭を取り、やや強めの振り塩をする。8分ほどおいて、安い酢で洗う。軽く酢を切って保存する。1時間ほどで酢が回る。念のために新子、こはだだけは味や香りのある酢は避けたい。できればミツカンの「白菊」クラスだけど、手に入りやすいミツカンの「銘撰」を使った。さて、このサイズになるとしっかりニシン目ならではの味がする。小さい割りになだらかな中にピークのある味といったらいいだろう。非常に脆弱なのでたいして噛むこともなく半分溶ける。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産にキツネダイが来ていた。伊豆半島の以東にあまりいない魚で、西、駿河湾以南に多い。今回のものは静岡県御前崎産であるが、過去にも何度か御前崎の荷を見ている。体長30cm・624g なので本種としては大型である。ベラ科タキベラ属は味のいい魚が多いが、本種は取り分けうまい。ただ旬がよくわからない。さて、三枚に下ろすと身に張りがあり、少ししっとりしている。透明感がなく少し白濁しているのは、少ないながら脂ありとみた。皮に味があるので水洗いして三枚に下ろす。腹骨・血合い骨を取り、皮付きのまま刺身状にきる。これを沸かした塩水の中で2、3秒湯引きする。梅肉とわさび醤油で食べたが、やはりおいしい魚だと改めて思った。水揚げ量がそれほど多くないので知名度が低い。そのせいで高級魚ではあるが、それ以上ではない。湯引きは飽きることがなく、半身分作って食べ尽くすことができた。今回は上品過ぎると思った身にほどよい甘味があり、食感の心地よさを楽しめた。

神奈川県小田原市、小田原魚市場、江ノ浦沖、江の安漁場日渉丸、ワタルさんに体長25cm・250g前後の「わかし」を分けていただく。もちろんしっかり締めて血抜き済みである。6月7日には体長17cm・90g前後だったものが、1ヶ月経った7月4日には重さで2倍以上に成長している。相模湾では「わかし釣り」の時季となっている。さて、ワタルさんが締めた魚は、それだけで別格である。持ち帰ったばかり昼ご飯のおかずと、夜、酒の肴にしたが、「わかし」の刺身は非常に味わい深い。普通、「わかし」は数時間で食感が落ちてしまうが、ワタルさんの締めたものはその食感が水揚げしたてと変わらない。軽い味だけど、豊かなうま味が感じられるし、終いの方に酸味がくる。夜には2尾分の刺身を造って、食べきったほどなので飽きの来ない味といってもいいだろう。事ほど左様に、名人が締めて、ていねいに持ち帰った「わかし」はうまいのである。このとこと静岡県藤枝市「志太泉」を飲み過ぎていて、また2合がなくなる。

神奈川県小田原市、小田原魚市場の定置網は夏枯れ状態が続いている。水揚げ量が全体に減っており、場内ではむしろ深場の魚が目立つ。そんな中、小田原江ノ浦沖、江の安漁場日渉丸、ワタルさんに体長12cm〜15cmのマイワシを分けてもらう。コバルトブルーに輝く素晴らしいマイワシである。当然、刺身だろう。とは思ったが、丸干しを作りたかったので分けてもらったものなので、迷わす、丸干しを作る。立て塩を作る。鍋に水を張り塩を入れてかき混ぜ、溶けにくいと感じるくらいの量の塩を加える。一煮立ちさせて、渋いくらいの塩辛さになったら冷やす。マイワシは大ザルに入れて真水で洗う。水分をよく切る。冷えた立て塩に8分間漬け、水分を切る。徹底的に水分を取り、サーキュレーターと扇風機で丸一日かけて干し上げる。ザルに入れて冷蔵庫で半日冷やす。あとは保存するだけだ。これで14食分の丸干しが出来上がった。

神奈川県小田原市、小田原魚市場の定置網は夏枯れ状態が続いている。水揚げ量が全体に減っており、場内ではむしろ深場の魚が目立つ。この夏場の状況は毎年変わらない。それでは定置網においしい魚はいないのだろうか? というとさにあらず、小田原の定置は扱いがていねいなので魅力的なものがいっぱいあるのである。今回はいろいろあって水揚げに集中できなかったので、定置網の方達が引き上げた後に、瓜坊(イサキの幼魚)体長15cm・70g前後をひとつふたつみっつ、とダンベから救出してきた。定置網の魚でダンベに行くというのは、魚粉になるということで、人の口に直接入らない、魚たちである。とった魚は直接人の口に入る方が自然に優しいし、温暖化防止になる。ところがイサキの100g以下は流通しない。流通しないというのは、今どきの曖昧言語を使うと未利用魚である。この100g以下のイサキがまずいかというと、真逆で漁師さんも知る非常においしい魚なのである。これが高値で飛ぶように売れるようになると、温暖化もほんのわずかストップできるのだけどな、と思いながら内臓をずぼ抜き。振り塩をして保存する。2日後に取り出して、水分を拭き取り、焼きたてをあつつと言いながら食べる。縦縞の消えた大人のイサキと比べると脂は少ないとはいえ、比べなければ脂は十二分にあるし、本体全部が非常にうまい。ちなみにイサキのおいしい点は少しだけ磯の香りがして、上品過ぎないところにある。イサキの塩焼きご飯一升というけれど、瓜坊の塩焼きでも5合はいけるだろう。最近のボクは、酒に溺れているので、静岡県藤枝市、志太泉を、なんと2合、も。どんなに瓜坊が栄養豊かでも、これでは夏が越せない。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産、クマゴロウが新島沖でアヤメカサゴを釣り上げて来た。魚屋ならではの確かな締めで、鮮度抜群である。カサゴ類の旬はわかりにくいので、他のカサゴ類とともに本種も定期的に食べてみている。さて、今回のものは下ろした感じではさほど身に脂を感じない。カサゴ類は元来脂ののりの少ない魚だが、9月になると身がしっとりとしてくる。まずは湯引きにしてみた。三枚に下ろして腹骨・血合い骨を取る。皮付きのまま刺身状に切り、塩を入れた湯の中で1、2秒揺らす。氷水に落として、粗熱を取り、水分をきった。やはり本種のうまい部分は皮と皮の直下である。皮を引くとおいしい部分が消えてしまう。この切りつけて湯引きするというのは、カサゴ類にもっとも適した料理だと思った。熱を通した分、皮が少しだけ柔らかくなって、身のうま味が増した。梅肉酢で食べたらとまらなくなる。ここ数日、あまりの暑さに冷や酒を飲み過ぎているが、静岡県藤枝市の「初亀」の冷え冷えが合う。

岡山県ではとくに秋の小型を珍重する。大型魚よりも値が張る。昔、静岡県御前崎港で釣り上げた超小型もおいしくて、本命のメジナにはお帰り願い、アイゴ釣りに専念したこともある。そしてこのたび、静岡県湖西市鷲津漁港で体長15cm前後の「しゃくしゃ(アイゴ)」をいただいてきた。活魚だったので、締めて持ち帰った。鷲津で会った方は、一定期間生かして消化管の中のエサを出してから食べる、と言っていた。ただ今回のものは水揚げしたてを締め、血抜きしなかったが臭いはまったくなかった。しかも脂がのっていた。口に含むと脂があるのだろう、少しだけとろっととろける感じがする。アイゴならではの豊かなうま味もあり、舌を飽きさせない。4個体持ち帰って総て味見したが同じであった。防波堤釣り師(波止釣り師)としては、今度は自分で釣り上げて食べてみたいと思う。

浜名湖の雄踏の漁師さんに細かい魚たちを分けていただく。中に外套長50mmほどのジンドウイカと、10mm以下のミミイカが混ざっていた。連れて帰ってきたら食べる、と決めているので、「ねこた(ヒイラギ)」を煮た煮汁で、そのまま煮た。ものすごく小さな個体だけれど、温暖化対策のためというか、自然保護は「食べられるものを有効に利用する」ことが基本だ、と思っているので、無駄にはしない。無駄にはしないどころか、ジンドウイカは柔らかく、しっかりイカらしい風味がある。ミミイカなど極小なのに、「イカなのにタコ」的な食感があって、ワタに味があった。口寂しい、昼下がりにちょうどよいおやつとなる。浜名湖さん、ありがとさん。

ボクはあまり集中力がある方ではない。調べ物をしているときは、別のことができないし、外出も不可能だ。そんなときよく作るのが炊き込みご飯である。今回は塩サクラマスがあったので、まず解凍させて、時間をかけて香ばしく焼き上げる。粗熱がとれたら水飯の用意ができたところに入れ、刻み生姜、少量の酒・醤油を加える。塩サクラマスに塩気があるので醤油は風味づけ程度だ。炊飯は、米を洗うが数分、水加減して浸水30分、炊くのはたぶん10分、蒸らし10〜15分である。浸水の30分で塩サクラマスを焼き上げる。つきっきりでやらなくてもいい上に1時間以内で食べられる。炊き上がりを食べたら、鼻に抜ける香りにうっとりする。うま味を放出しているはずのサクラマスの身に強いうま味は感じられるし、甘味がある。混ぜ込んだ刻んだミョウガが、いい味を出している。当たり前だけど、サクラマスのうま味に満ちた飯のうまきことよ。みそ汁を作る間もなかったので、炊き込みご飯のみ2膳で、こんな日もある、ありすぎるボクだった。

浜名湖の雄踏漁協で「ちんた(クロダイ)」をいただいた。300g以下を「ちんた」、以上を「くろだい」という。今回の体長19cm・195g は競りに出すともなく、廃棄もしくは放流することになるらしい。以上は前回もかいた。片身を刺身にして、あらをあら汁にした。骨つきの半身はムニエルにする。横道にそれるが、サイトの運営上しかたがなく、特定のサイトなどを見ることがあるが、非常にいかがわしい、というか薄汚い。当たり前の魚を「超レア」だとか、もっとも嫌いな言葉「究極の」とか、「これ以上の魚はない」、「これが究極の料理法だ」などと書いてある。世の中に特別なものは存在しない、と思っているのでこのような言語を使うこと自体、愚かしいと思っている。魚は日常的に当たり前に食べてこそ、日本の自給率を上げることが出来るのに、これじゃ逆効果だし、自然に優しくない。ということで、今回の「ちんた」など買ったとしても安いものだし、珍しいものでもない。ボクのケ(日常)の日のお昼に、至って平凡にムニエルにして食べた。これに、いただきものの食パン1枚(高そうなパンで少し甘みがある)と日東紅茶とトマト1個のお昼だけれど、トマトが大きいので腹持ちがいい。クロダイの骨つきの半身は、塩コショウして小麦粉をつけてじっくりソテーしただけ。ムニエルは意外なくらい難易度が高い料理だけど、失敗しても失敗したと言うほどまずくないのがいい。タイ科のムニエルの特徴は、ソテーの仕方次第だが、皮がかりっと香ばしく上がり、身にしっとりと潤いが残ることだ。自画自賛はいかんが、今回は非常に上手にソテーできた。「ちんた」のムニエル、滅法うまいではないか。皮を食べただけでも御馳走だし、身に甘味がある。今回はパンに合わせたが、ご飯に合わせるときは醤油をたらすとよりご飯向きになる。今回の問題点は高そうな食パンに甘みがありすぎたことだけだ。魚料理に合わせるときのパンには、あまり上等なのはいらぬ。

浜名湖の雄踏漁協で「ちんた(クロダイ)」をいただいた。浜名湖では300g以下を「ちんた」、以上を「くろだい」という。今回の体長19cm・195g は競りに出すともなく、放流することになるらしい。ちなみに1㎏前後は競り場に生きた状態で並んでいたし、直売所では刺身が売られていた。これを活かして持ち帰っている途中、高速道路上で後ろからバシャバシャと音がする。PAに入って見ると、「ちんた」が大暴れをしているではないか。仕方なく締めて、血抜きしないで持ち帰った。暴れたせいで尾鰭がぼろぼろ、決していい状態とは言えない。帰り着いた日に下ろして翌日刺身にする。大きさも、漁の後のボクの締め方にも、期待できるところはなにもない。ところが、これがうまかったのである。脂はないが、味がある。口に入れてすぐに甘味とうま味があり、中だるみがない。「ちんた」は「ちんた」なりのおいしさがあるのだな、なんて思ったものだ。ついでに言えば水域での汚れや汚染に影響を受けやすい魚だが、浜名湖はこの点からしても大丈夫らしい。

浜名湖の東西はともに遠江の西で、湖を挟んではいるが同じ地区だと思っていた。実際に行って、いろいろ話を聞くと、食文化はまったく別で、魚の評価も違っていた。例えばヒイラギは、浜名湖の西の湖西市鷲津・入出では「ぜんめ」、「ぜんな」、東の浜松市雄踏では「ねこた(猫またぎ)」という。西では食べ物で、東出は捨てる物だ。東、雄踏漁協の漁師さんにお願いしなくても、いただくことが出来たのが「ねこた」である。それでは浜名湖のヒイラギは、東西で味が違うのだろうか? というと、そんなことはない。「ヒイラギはとてもうまい魚だ」ということを東の漁師さんにいただいたヒイラギで、改めて思う。棘をハサミで切り取り、粗塩でぬめりを取って、水洗い。あとはざっと煮るだけ。高知市の漁師さんで、ぬめりも味だという人がいるので、ぬめり取りは不要かも。身離れがよく、身に甘味があり、とってもおいしゅう、ござんした。

カツオの切り身をあぶる地域は少なくないが、切りつけて塩を手につけてたたくのは高知県だけ、なのだろう。高知県の旅では中土佐町、いの町で実演しているのを見ている。実に手慣れたもので、あぶる、切る、塩をつけた手でたたく、と次々に出来上がる。あまりにもうまそうなので、思わず買ってしまいそうになる。この本来、カツオで造る、「塩たたき」を「だるま(メバチマグロの幼魚)」で造る。出来上がりを盛り付けて、すだちを1個全部搾り、みょうがに青じそに、にんにくを天盛りにした。仕上げに追いスダチをする。塩気は充分なので、スダチと香辛野菜だけの単純な組み合わせで食べる。脂ののった「だるま」は、うま味も非常に豊かで恐るべきうまさである。スダチ2個を搾ったが、もっと多くてもよかったかも。香酸柑橘類の旬はまだまだ遠い。

浜名湖に散らばる角網(小型の定置網)で揚がる魚の種類は非常に多い。大型魚はスズキ、クロダイ、ボラなどだが、むしろ小型魚であるコノシロ、はんだ(サッパ)、ねこた(ヒイラギ)、夏はぜ(ウロハゼ)などが多いようだ。浜松市雄踏では「はんだ(サッパ)」は当日見た限りでは、競りに出すことがなく、廃棄されているようだった。これは浜名湖西部の鷲津でも同じである。ちなみにサッパは大きな括りではニシンやマイワシに近い魚で、腹部の底の部分に非常に硬い鱗があるのが特徴である。水揚げを見ていたとき、雄踏漁協の漁師さんたちに分けていただいたので、持ち帰って計測して食べてみた。それほど面倒な料理ではなく、岡山県で普通に作られている焼き漬けである。じっくり時間をかけて素焼きにし、二杯酢に1日漬け込んだだけ。酢と相性がいいのもあるが、非常にこくのある味で、濃厚なうま味が舌に残る。サッパという魚は、小骨が硬くて多いという二重苦を背負っているが、うま味の豊かさという点ではニシン類の中でもトップクラスである。岡山県人をして、「ままかり料理」の第一にあげる人が多いわけがわかる。旅の後なので、静岡県藤枝市の志太泉 原酒を冷やして舌を洗う。

山芋(今回は大和芋)をすって、大きめに切ったブツにかける、ので「山かけ」だ。「山かけ」で重要なのは大和芋をおろし器でおろし、そのあとすり鉢に移して徹底的にすることだ。コツと言ってなにもないが、すり鉢の中で容赦もなくする、する。手が疲れるくらいすったら、すり鉢の中にぶつを入れ、こんどは和えて、和えて、和える。これも徹底的に和える。大和芋はこれくらいしないとブツと混ざらない。ボクの場合はあれこれやらず、生醤油とわさびで食べる。「だるま(メバチマグロの幼魚)」なのに、中心に近い部分にも味がある。一日寝かしてブツにしたせいか、下ろしたてよりも酸味がある。大和芋の強いねばりと微かな渋味とうま味が、酸味のあるブツとよく合う。

料理法に一番というものはない、と信じている。ときどき一番おいしい料理法は、とか聞かれると困る。今回のイワシの梅干し煮などその最たる物だ。岩手県産のマイワシ(マイワシ)は体長20cm・105g前後で脂が乗っていた。ボクが梅干し煮にするときやりやすいサイズは、体長17cm前後で80gくらいがいい。当然、大小で煮方が違う。今回は水洗いして頭を落とし、3等分にする。湯に落として冷水に取り、粗熱を取る。常備菜ではなく単なる煮つけなので酢だき(水と酢でゆでこぼす)はしないで、真子・白子ともに酒・梅干し・水でことことと煮る。仕上げに醤油を適宜加えて、またことことと煮る。甘味は加えていないので、梅干しの酸味と醤油辛さだけの煮つけである。脂がのっているマイワシに甘味を加えると、茶漬けには合わない、とボクは勝手に思っているからだ。梅干し煮でも当座煮にするときは甘めにするし、酢だきもする。煮物は臨機応変、その日の気分で作りたい。こんなところで懺悔するのも変だけど、ボクが夏バテでも痩せないのは、茶漬けがやたらに好きだからだ。とても三条中納言を笑えない。

念のために、今回のメバチマグロはたぶん宮城県産だろうとは思うが自信がない。舵丸水産、クマゴロウが渡波(石巻市の水産会社)のパーチをひらひらさせながら、これだ、と言っただけなので、とりあえず宮城県産である。下ろしているのをみて、まず惹かれたのが身色のにぶいところだ。赤いマグロは、大物でマグロ屋が発色させたものはいいが、「だるま」に当てはまらない。実にいい色だったので買い、だと思った。逢魔が時に血合いを除き腹と背に分ける。背は、皮に近い部分と中心部分に厚みを二等分する。皮の方の、皮を引いて刺身にしたもの。皮を引く包丁に脂がべっとりとついている。刺身はやや厚めに切る。ちなみに写真で、今のボクには2人前である。今回は3枚食べたが、実に食べでがある。こんなとき、食べてくれるご近所さんはありがたい。「だるま」なのに酸味が少なく、強いうま味がある。舌を飽きさせない味である。久しぶりに本物ビールで舌を洗う。ちなみに翌日はお昼にご飯のおかずにしたが、ビールよりもご飯が上だと思った。

ホヤ(マボヤ)を初めて食べて、なんと半世紀になる。東京というところは非常に東北・常磐との結びつきが強く、ホヤは昔々から食べられていたようだ。ボクの食べ方はいつも同じで変わらない。何十年も柑橘類・塩だけで、混ぜ込んで食べている。ときどき3個、4個買い、塩だけをして2、3日かけて食べることもある。今回は同時にきゅうりもみを作っていた。きゅうりもみの作り方を説明するのも変だけど。きゅうりを薄く切る→塩でもむ→30分くらい置く→塩加減がちょうどよくなるまで水の中で揉み洗いする→甘酢に漬ける、だ。甘酢に漬けようとして、ふと塩味のきゅうり・今回はみょうがの足と一緒にしたらどうだろう、と考えた。月並みなものに月並みなものを合わせたら、意外によかったのである。100円以下になったスダチを1個半使い。味つけはきゅうりもみの塩とスダチだけ。ちなみに10年前のボクだと、たぶん塩を強くすると思う。年年歳歳塩が嫌いになっているので、ボクの料理は塩足らずだ。

約9ヶ月ぶりのハモである。昨年は6月半ばに買って骨切りを虚しく大失敗。全部、「ハモすき」にする。どうしてこんなに不器用なんだろうと思って、それでもがんばって、10月くらいにはちょっと上手になったかなと思った。もう40年近くがんばっているのに真の意味で上達しない。毎年あがき苦しむ。でもへこたれてたまるもんか、と思っている。今年の初落とし(ちりとも)は点数をつけると35点くらいかな。赤点ギリギリを救ってくれたのが、中津産活ハモである。いいハモを買えば、へたくそが骨切りしてもそこそこおいしく食べられる。思ったよりも脂があり、口に入れるとほっくりしてホロリである。甘いのはこのほっくり感からくるものなのかも知れぬ。問題はところどころ骨切れていないところだろう。こんなに大きな問題点も頂きものの、東京の地酒、四合瓶の澤ノ井 特別本醸造が流してくれた。

食べて感じることだけど、まことに不思議な魚としか言いようがない。血合いの味はカツオなどに似ているのに、身の色はサワラやハガツオに似ている。ぱきっと、はっきりした味がない。大きな丸味のある味で少しだけ酸味がある。茫洋として終いにキリリとした味であるといったらわかってもらえるだろうか。昔、高知県宿毛市で大量に揚がった本種を前に、好きだという男性に会っている。安い魚だし、人気があるわけでもないのに、ときどき無性に食べたくなるという。久しぶりに食べると、それがわかる。東京の地酒、四合瓶の澤ノ井 特別本醸造をば、グラスにいっぱいだけ。

関東周辺だけの話ではないが、トビウオは早春から秋にかけて、ハマトビウオ→ツクシトビウオ・ホソトビウオ→トビウオと種類を替えながら魚屋、スーパーの店頭を飾る。トビウオを初めて見たのは、上京して江戸川区平井駅から新小岩、小岩と歩いている途中の魚屋でだ。夏休み前だったのでツクシトビウオだったはず。江戸川区、葛飾区はとても人情み豊かなところで、店頭のトビウオをじろじろ見ていても、「買っていきな」とは言われなかった。学生時代、魚類図鑑を丸暗記している最中だったので、店のトビウオの種類が、どうやら季節で替わることがわかった上に、トビウオ類は東京都内では至って在り来たりな食用魚だということもわかった。学校横、駿河台にあった、居酒屋で塩焼きがあって、これがボクの初トビウオ食いだった。

寒い時季の方が味があると思っているのだけど、むしろ夏になると入荷が増える気がしている。白バイ(エッチュウバイ)は山口県、島根県西部・隠岐が主産地である。バイカゴというねずみ取りの親玉のようなカゴに、魚の肉などを入れて食べに来た、貝を取る。日本海のバイカゴが国内では衰退しつつある気がする。北海道西岸、東北日本海などの産地が徐々に消えている。この白バイと呼ばれている巻き貝を好んで食べる地域は、産地でもある山口県、島根県、鳥取県を含めて福井県、石川県、富山県、新潟県と日本海側に連なっている。この地域では煮ることもあるが、刺身でも盛んに食べている。関東にもやって来ているが、煮つけにすることが多く、刺身にすることはあまりない。蒸し暑いので刺身にする。冷え冷えに冷やして食べる。知りあいの料理人は、すだち・塩がマイブームだと言っていた。ボクはわさび醤油にすだちが好きだ。香酸柑橘類はなんでもいいけど、ないと寂しい。冷え冷えに冷えた身は、少しだけこりっとして甘い。食感は弱いものの、甘味というか、上品なうま味がある。余談になるが、甘味では白バイなどバイ(エゾバイ科エゾバイ属の巻き貝)で、食感ではツブ(エゾバイ科エゾボラ属)だと思う。濃厚なうま味のわたの部分を舌の上でつぶして酒で流すのがいい。貧窮のときではあるが、せっかくなので神奈川県松田町の「松みどり」を冷やして正一合。

久しぶり、というか20年ぶりに会った男が、本をくれた。立ち寄った港で買った言語不明の民族の本だ。外国航路の船乗りをやめて国内で就職するらしい。めくるめく話で盛り上がった。終電の窓から外を見ながら、時の過ぎゆくのは早いな、なんて思ったものだ。魚の話では、今回の航海ではアボカドと冷凍マグロをよく食べていたという。作り方は、冷凍マグロをサイコロ型に切り、アボカドも同じ大きさに切る。レモン汁で和えて、マヨネーズ・にんにく・醤油、一味唐辛子で和えて、ご飯にのせて食べる、というものだ。冷凍マグロやカツオの刺身をマヨネーズベースのタレで食べるというのは、これまた仕事を始めたばかりの頃、神奈川県三崎に同級生の船出を見送りに行ったとき教わったことだ。いかにマヨネーズがすぐれた食品で、船乗りには欠かせないものか、がわかる。こんなことがあったので、マヨネーズ・にんにく・醤油、一味唐辛子で生の魚を食べたくなった。あるのは凍らせたサクラマスで、アボカドは自然保護の観点から買いたくはなかったけど、八王子総合卸売センター、八百角で1個だけ買ってきた。ちなみに慢性的に胃袋が痛いので、一味唐辛子はなし。このマヨネーズと醤油は船乗りの定番料理かもしれない。にんにくたっぷりでコッテリしたソースなのに、サクラマスの味を損なわない。サクラマスとアボカドも合う。やはり料理はすぐに出来て単純なものほどうまい。

八王子綜合卸売協同組合、舵丸水産に青森県むつ市大畑町産の「むらさきうに(キタムラサキウニ)」が来ていた。プラスチック箱だけど、「№58」などとあると貴重なものに思えてしまう。これが今季初キタムラサキウニである。国内で食べられているウニのほとんどが、剥いた生殖巣が黄色いキタムラサキウニと、やや赤みを帯びた「ばふんうに(エゾバフンウニ)」だ。標準和名のバフンウニと、科の段階で違っているムラサキウニも食用にはなっているが、あまり一般的ではない。ちなみにウニにはいろんな種類がいるが徐々に基本的なものをおぼえて欲しいので、ここでは話を広げない。さて、ウニは生きている状態、いがのついた状態のものと、剥き身になった状態のものが売られている。一般人は目先の珍しさから生きているものに手を出す人がいるが、非常に当たり外れが大きい。できれば剥き身を買う方がいい。東京都内など関東では小さなウニ箱(ウニ板ともいい、剥き身の専用ケース)が小売店で売られているが、これもオススメしない。ちなみに贅沢をしたくてウニを買うなら輸入ものも避けた方がいい。できればプロも買うような市場で買うべきだし、近年増えてきているプロも一般人も買えるネットショップをすすめる。「むらさきうに(キタムラサキウニ)」と「ばふんうに(エゾバフンウニ)」は最低でも100g以上入ったもの、本州以南のバフンウニとムラサキウニは50g以上入ったものがいい。要するに料理屋さん並のものを買わないと、ウニを食べた意味がない。東京都内でいえることは比較的一般人が市場で買いやすいということと、ネットショップでの配達範囲だったりすることだ。

買ったものもあるし、もらってもいる。今年、カツオが釣れているようで、買った日に限って釣り師がカツオを持って来てくれたりする。これをカツオパラダイスと呼びたい。刺身、たたき、角煮にして唐揚げにして天ぷらにしてもあまる。近所の居酒屋にも進呈して、近所の老人のところでは刺身にたたきなどボクが料理人に変化して差し上げた。刺身を食べながら、煮つけがいちばんだな、と思ったことが一回や二回ではない。ちょうど新潟県十日町で買った車麩を使い尽くそうと思っているときなので、あらを車麩と煮つけてみた。八王子総合卸売センター、八百角で不思議な形の大きな甘長唐辛子をもらったのもある。カツオの血合いや中骨、腹身を適当に切り、湯通しする。氷水に落として霜降りにして、鰭際などのぬめりを取る。これをこのときたまたま残っていた昆布だし・酒・砂糖・みりん・醤油で、もどした車麩と一緒に煮る甘長唐辛子は煮上がる直前に投入する。これがボクのおやつだ。ほの甘く薄味にしたのでたっぷり食べても、重くないし、たっぷり食べられる。昼過ぎに作り、冷めてから食べたけど、お三時に食べて、あとはだらだら食べる。おまんじゅうが節約できた。それにしてもカツオからはうま味豊かすぎるだしが出る。汁がうまいということは車麩がうまいということで、車麩は脇役ではなく、ダブル主役(こんな言葉あるかな)だと思う。お供は臺灣で買ったプーアール茶。

小麦粉の麺のつゆは角々しい味がいい。そばのつゆは丸みのある深みのある味がいい。ここでは鍋にだしを入れて火をつけ沸いてきたら、みりん・塩・薄口醤油で味つけする。塩気が買った方がつゆが角張る。これを冷蔵庫で冷たく冷やす。徳島県美馬郡つるぎ町、杉本手延製麺の半田素麺は、だいたい4分から5分で茹で上がる。茹で上がったらザルに取り冷水で冷まし、流水をかけながらていねいに洗う。そばは優しく洗い、素麺は荒々しく表面についた油を流す。よくよく水切りをする。

アカイサキは見た目はパッと華やかだけど、流通上では実に地味で目立たない存在である。市場の注目度が値段で動いているせいで、あまり値をつけない魚なのだ。見た目が派手でも味は平凡なので、現在の価格が妥当だろう。ついでにいうと、意外に料理しにくい魚なのである。晩春から夏にかけてはいいとしても、寒い時季には不安定で難しい魚になる。これはハナダイ科の多くの種がそうだ。6月の個体はまず外れがない。昔はなんてたって焼霜造りがいいと思っていた。それが旬の時季は刺身がいちばんだか、と思うように変化したのは年のせいかも。鋭角的なわかりやすい味よりも、後からじっくりくる味が好きになってきたのだ。脂が非常にのっている刺身は、アカイサキの繊維質に欠ける身質を補って余りある。非常に美味でかつ、うまさが長く続く。

過去にさばきたての本マス(サクラマス)を、北海道で何度か刺身で食べているが、アニサキス症にはなっていない。ただ寄生虫に恐怖を感じている人、抗体を持っている人には脅威だと思うので、定法通りに−20℃で一日以上凍らせた。半溶けの状態で刺身にして、じょじょに溶けていく味の変化を楽しんでみた。ちなみにサケ科の魚は凍らせても味的には問題なし、と教えてくれたのは岩手県の民宿のオカミサンである。脂ののったサクラマスの身は冷凍しても何ら変わりがない。サケ科には特有の強いうま味があり、またサケ独特の匂いもある。この匂いがあるからサケと言えるのだろうが、脂ののったサクラマスにはこの匂いが少ない。それにしても6月のサクラマスは脂がのっている。切りつけたみが溶け出すと同時に表面の脂がにじみ始める。当然、脂の口溶け感が甘みを感じさせる。口溶け感、匂い、甘味、強いうま味と多様な味を楽しめるのが、サクラマスのよさかも知れない。酒は40年振りくらいに買った「雲海」の水割りを1杯だけ。

スーパーに行くときは水産生物を調べているボクと、実に平凡で無知なボクを一緒に連れて行く。通やグルメは掃いて捨てるほど、例えば3月の粗大ゴミ置き場のごとくいるが、平凡でありきたりな人間はめったにいない。ボクは常に平凡でありきたりな人間でいたい。そんな平凡でありきたりな人間が見つけたのが、高知県産解凍ハチビキの刺身用フィレだ。これが王貞治の一本足打法で殴られたくらいおいしいかった。まあ、非常に安いのもあり、きっとまずかろうと思って食べたので、想像したものと、実際に食べたものとの差が極端に大きかったせいでもある。ハチビキはうま味成分が豊富で、舌に乗せても味がだれない。しかもこくがあるのは、脂が乗っているせいだ。ムムム、冷凍して解凍してもこーんなにおいしいなんて、平凡でありきたりな人間のボクは知らなかった。

魚の塩焼きなのに茶の友となる。まことにキダイとは不思議な魚である。兜焼きなど太い骨は無理だけど、薄い骨などせんべいのようにサクサクいくよ、で、まるで春の小川のようだ。なんて軽い味なんだろうと思って付着している身を吸い取るように食ったら、強い、至極強い味があるのだから、すごい。マダイと比べる愚かさを改めて感じる。1尾600gもあるのに、ほとんどを焼いて食らってしまう。ちなみに骨湯にもしたし、だしの素としても使った。キダイは骨まで愛してしまった、ようだ。

6月のキジハタがどんなにうまかろうとも、和ばかりでは飽きる。身色、脂の乗り具合を確かめて、久しぶりに台湾風にする。一般にバブル期と呼ばれた時代に食べたものを、勝手に真似して作っているものだ。当時は都心で仕事をして中華街まで仕事という名目でご飯を食べに行く、なんて当たり前だった。ちなみにボクはただの運転手だったけど、ちゃんと一緒に食べられた。キジハタは水洗いして皮を引き、薄造りにする。刻んだエーサイ、香菜、赤ピーマンなど(要するに家にあったもの)を皿に盛る。ここにキジハタの薄作りを並べる。この上に散らしたかったナッツ類がないので諦める。醤油・紹興酒・ナンプラー・砂糖・八角の小さな欠片、辛味が見つからなかったので沖縄のコーレーグスを一煮立ちさせて冷やし、下ろしたにんにくを加えたタレをかけ回す。

古くから、東京のマイワシは東京都産、千葉県産、神奈川県産が主流だった。銚子産は関東の地イワシのひとつと言えるだろう。6月中旬はじめに富山湾産を、中旬後半に銚子産を手にし、マイワシは国内では一年途切れないのが確認できた。今回のものは当たり前だけど、生殖巣は膨らんでいない。さて、今回は塩焼きを食べるために買ったので、流水でざっと洗い水分を切る。そのまま、丸のまま振り塩をする。これを夕方まで寝かせて、素直に焼いただけだ。焼き始めてるとすぐ、体の表側に脂がにじみ出てくる。吹き出してきた脂で体表を揚げるように焼けてくる。表面が飴色に変わるときがいい。頭をとってそのままかぶりつくと、強い味がどっと押し寄せてくる。これを近所で特売していた、「大山 ミズナラハイボール」で流すが、味が消えない。肝や、たぶんエサとして食べた有象無象のプランクトンが生み出す濃厚なうま味が口中を去らないのだ。ご飯と合わせるときは頭部も内蔵も出してから焼く。丸焼きはアルコールのための焼き方である。我ながら魚食いの猛者ではなく、軟だからだ。

前回の東京都知事選を見てもわかるように世の中、どんなにいかがわしいこと、ハレンチなことをやっても許されると思っている、恥を知らない人が多すぎる。やたらに「毒」を使い人の注目を誘う人間もそんな恥を知らぬ人である。シイラが「毒魚」だといった不気味な人間がいる。シイラはサバ類と同様に人間の体にとって重要な必須アミノ酸、ヒスチジンをたくさん持っているだけだ。流通が発達していなかった昔は鮮度が落ちやすかった。当然、ヒスチジンが変異してアレルギーなどを引きおこすヒスタミンに変わりやすかった時代がある。当時はアレルギーと起こした人もいるだろうし、また今でも人的な間違いで起こることもある。このようなことはサバ類同様、今の普通の流通上ではありえないことだ。「毒」など強いインパクトのある言葉を目立ちたいだけで使うハレンチな人間たち。これを「鬼」と定義づけたい。平安時代には火付け盗賊が「鬼」だったが、今はこれに加えて、目立つことだけ考えて真実を曲げてしまう人間も「鬼」とすべきだ。ということでシイラはとてもうまい魚であって、「毒魚」ではない。小田原魚市場に揚がった雌のシイラなど、これ以上ない度管理がなされている。色など生きているかのごとくである。でいるだけ早く水洗いする。これが肝心なのは総ての魚に共通することだ。当然、刺身で楽しむ。優しい顔の雌で、大きな卵巣を抱えていたが、まだまだ脂がある。食感こそ強くないものの、しっとり滑らかな舌触りで、微かな酸味があるのがいい。嫌みがないのでたっぷり食べてしまう。今回はわさび醤油と辛子酢みそを用意した。ともにおいしかったが、わさび醤油がよかった、かも。酒は40年振りくらいに買った「雲海」の水割り。「雲海」は宮崎市の焼酎だったんだな。

標準和名、サクラマスは、市場(流通の場)ではむしろ、本マス(サクラマス)の方がわかりやすい平安時代からの「麻須(ます)」といえば本種、もしくはビワマスである。サクラマスは桜の咲く頃にとれ始めるので桜鱒なのであって、漁の最盛期は5月、6月で7月になっても入荷が続く。6月は北海道産の最盛期と言ってもいいだろう。様似産の本マスは触っただけで、脂ののりがわかるといったもので、買ってきてすぐにおろして、振り塩をして、翌日に焼き上げたものである。このわかりやすい、ある意味誰もがおいしいと思う、塩焼きの味の表現は非常に難しい。サケ科の魚は筋繊維が明瞭に見えるが柔らかく、熱でもろくなる。箸で皮の方から押しつぶすと、身がミルフィーユのようになっているのがわかるだろう。

サゴシが主役という話ではなく、野菜を食べるという話だ。365日、魚を食べるのは健康的か? というと違う気がする。食事はバランスだと思っているからだ。魚だらけの生活をしていると、魚料理の食材にバランスを求めるようになる。魚の煮つけに、季節の野菜を一緒に煮つけたくなるのと同じである。魚の塩焼きと野菜を合わせて、にんにくたっぷりのオリーブオイルと合わせて混ぜただけの料理だ。サゴシのポルトガル風(?)としたけれど、都内のポルトガル料理店で食べた料理の考え方をもらっただけだ。その店の塩焼きはマイワシであった。

タイ科はタイ科であるだけで高級とは言えない。あえて言えば高値がつくのはマダイだけだ。キダイ(レンコダイ)は非常に上物であっても値段は平凡である。その平凡な値段の、キダイの刺身を皿に盛り付けた途端に表面がにじみ始めた。過去のデータを見ても、こんなに脂が豊かな個体は見いだせない。キダイの味がもっとも安定している時期は5月くらいから7月くらいまでだと思っている。8月、9月の個体も海域によっては脂がほどほどに乗っていたので、気象庁が定義するところの晩春から秋までが旬とすべきかも。25cm前後以上はめったに手に入らないために、ボクのキダイの旬の見極め力は遅々として向上しない。きっちり締めて、血を抜いているので食感が強い。それなのに柔らかく感じるのは、皮下だけではなく身にも脂が混在している証拠である。ちょっとだけ分厚く切った身に強いうま味がある。これにて、神奈川県松田町、「松みどり」を正一合。悪戦苦闘の日に、ごくわずか救いを感ず。

いちばん疲れるのが事務処理である。いろんな会社と取引するのでやっかい。ボクなどまさに貧乏暇なし、である。こんな日には逢魔が時に、早すぎるけどビールを開け、天ぷらを揚げて憂さを晴らす。一緒に揚げたのは季節感がなくなったとはいえ、一応夏野菜のナス、ピーマン、みょうがで、贅沢だけど、すだちをつける。悲しいことに総て加温野菜である。太平洋側相模湾のシロギスは生殖巣が膨らんでいる時季だけど、日本海側山形県ではまだ生殖巣が膨らんでいない。揚げるとふんわりして豊潤である。日本海ものは、まだまだ脂がたっぷりのっているとは言えないが、甘味が強いし、うま味もある。シロギスの味の表現で、上品な白身などというが、間違いである。身(筋肉)の味も決して単調ではないし、最大の特徴は皮の野性的な風味である。これがなければシロギスの存在価値はゼロだ。揚げても意味がない。本当に疲れた日にだけの、本物ビールの晴れ風を雨降りに飲む。

ボクの生活は最近、1日4分割なので、いちばん睡眠時間の長いはずのド深夜に眠れない時がある。そんなときは酒を飲む。最小限の酒の量で、最小限の肴で、だ。夜も昼もなくドタバタしているので、眠れない時間はごくわずか、腹にたまらない、軽い物をつまみに、今回は昔いただいたウイスキーを飲む。5年くらい前、午前2時過ぎの、都心のスーパーで、「仕事やめました」と、ときどき挨拶を交わすだけの人に言ったら、買ってくれたものだ。普段飲んでいるものらしく、「(LOCH LOMOND WHISKIES 12 は)高いものじゃないけど、あげるね」、と言われたのが昨日のことのようだ。意外に飲みやすいスコッチウイスキーだけど、ウイスキーはめったに飲まない。ボクの基本は日本酒なので、まだ半分くらい残っている。今回コルクが壊れていることに気づいたこともあり、当分深夜酒はLOCH LOMOND WHISKIESとなりそうだ。とても香り高く、しかも存在感の強い、LOCH LOMOND WHISKIES に、この落ちこぼれマイワシのみりん干しが味で負けていない。1尾しかないのでじっくり小かじりにかじりながら食べて、LOCH LOMOND WHISKIESをちびりとやっていると、味は互角だと思った。漬け地の甘さにも小さなマイワシは負けていない。やはりマイワシってうまい魚なんだな、と思う。こんなに小さいのにとても大きな味がする。思わず、LOCH LOMOND WHISKIESをごくりと飲む。文庫本、みりんぼしの染み、ウイスキーの染み。

タイ科だけどクロダイは安い。今回の東京湾産もポケ、刺身、煮つけ、兜焼き、潮汁、そしてフライにした。1尾1000円で、骨くらいで何も残らなかったので実に安いと思う。魚というと刺身、刺身となりそうだけど、意外にトリで登場したフライが上だった。これは時季ではなく、痩せているクロダイだったせいだ。ほんの少しだけ、カレー粉を振ったのがよかったかも。クロダイの場合、パン粉をつけて揚げると、筋繊維の間にジュ(肉汁というべきか)がたまる。パン粉の香ばしさの内側に豊潤な地帯ができる。この豊潤さにこそ、天然もののタイ科らしいよさがあると思っている。ボクはじゃぶじゃぶウスターソース派なのだけど、大衆食堂的な味になってくれたところもうれしい。半合のご飯を食い切るのにちょうどよかった。デザートのまんじゅうはなしだけど、満足。

6月入っていったい何尾マアジの塩焼きを食べただろう。朝と昼ご飯は米の飯なので、米の飯に合うものを作る。アジの塩焼きに、酢の物に、みそ汁は、理想に近い、ので、なんどもなんどもこのワンパターンを繰り返している。中には近所の釣り師が釣り上げた体長34cmという超大アジもいたし、長崎県産もあり、紀伊半島の漁師さんから来た黒っぽいのもあった。どれもこれもおいしすぎて困ったが、神奈川県二宮沖、体長17cm・90g前後がいちばんおいしかった。比較するのは下の下だけど、マアジに関しては勉強中である。例えば同じ相模湾産でも大アジ(マアジ)とは比較したい。当たり前だけど、比較のために別の産地のものと一緒の日に焼いて食べてみたが、皮が柔らかくて、皮の間から吹き出してきた脂の風味がよくて、と二宮定置に分があった。おいしいアジの塩焼きはご飯を食べるのを忘れさせる、と思っているが、残ったご飯にみそ汁をかけて食う日々だった。蛇足になるが、築地場内(現豊洲市場)で仲卸のアジ担当は、目利きだけがなれる特別な存在だと教わっている。確かに大きな金額が動く、アジの仕入れは特別なのだろう。アジのよしあしを見て取るのはそれだけに、とても難しい。たぶんだけど、二宮定置のマアジがずーっとトップとは限らない。基本的に8月くらいまでが安定期だけど、今年の小田原のアジ、他の産地のアジの味はどうなるんだろう。

ミノカサゴの仲間であるフサカサゴ科を含むカサゴ亜目の旬はとてもわかりにくい。ただミノカサゴは海水温の下がる10月になると見た目的にも精彩を欠く。釣りをやっていたときにも、シロギス釣りの最盛期にくるミノカサゴはとてもうまかったものだ。卵生なので産卵前の4月くらいから8月いっぱいがいいと思っている。珍しいものではないが、流通量は少ないのでなかなかいちばんいい時季がわからないでいる。ただ6月初旬のミノカサゴは抜群においしかった。小田原の目利きが買い気を見せているわけは触っただけでわかった。三枚に下ろすと身が盛り上がってくる。刺身に引くのが楽しい。皮なし刺身がこんなにうまいとは思わなかった。脂はあるのかないのか、明確にはわからないけど、味にこくがある。口の中で、おいしい時間が長い。野締めなので望めないはずなのに食感が心地よい。皮に湯をかけた皮霜造りは痩せた晩秋の個体で造っても、それなりにうまいが、今回時季の個体で造ったものは別格のおいしさである。皮下に層があるのが感じられる。皮にうま味があるのだけど、脂と混ざるのである。しみじみ味わっている内に、久しぶりに「高清水」正一合をこえてしまう。

昔、江戸川区にいたとき、魚屋でイサキを買うと、水洗いして振り塩をしてもらっていた。イサキは塩焼きというのが当たり前だった。初めてイサキの煮つけを食べたのは後々のことで、伊豆半島の民宿でだ。「いさぎは煮つけで食べた方がうまい」は、島根県美保関、定置網の漁師さんがボクにイサキをくれたときに言った言葉だ。その朝、美保関の旅館の定食(泊まったわけではない)もイサキの煮つけだった。塩焼きと煮つけを比べても仕方がないが、煮つけは塩焼き以上に大小あまり関係がない。そう言えば、和歌山県紀の川市ではイサキとナスと煮合わせていたし、柿を買いに寄った奈良県五條市近くでは冬瓜が添えられていた。時季の野菜と合わせて煮ると、とても日常そのもの、季節そのものが感じられていい。煮つけは平凡な料理で、普段、そこに何気なくあるものである。今回は神奈川県秦野市『じばさんず』で買ったマダケと煮合わせた。まごうことなき飯の友である。小イサキは手づかみで食らいつき、それはそれだけで完結する。ご飯はもっぱら竹の子で食べることとなった。なぜだろう。小イサキは煮つけると、それ自体が非常にうまい。身離れがよくいくらでも食らえる。食べることに集中して、ご飯に目が移らない。その小イサキのうま味を吸収したマダケでご飯が、とても合う。マダケには、とれたてをゆでたので非常に柔らかく、えぐ味などまったくない。マダケの持つ強い甘味と、ちょっとだけ歯を刺激する竹らしい繊維を感じる食感、そしてご飯というのは最強と、もちろん食べているときは思っていた。二宮沖の小イサキと秦野市の、時季のマダケで、初夏の味、味わっているぞ、という気になるのもいい。

もしも真の節約生活をしたければ、水産物を徹底的に使い尽くすのがいちばんいいのではないか?水産物は多様に使えて、安いものは安い。お金があるときは大型で高い魚を徹底的に使い倒す。ないときは小さな魚を買うといい。もちろんそのためには流通上の価値観や漁師の待遇改善をはからないとダメだけど、定置網や底曳き網などでとれるものをみな食べることで、節約も出来るし、地球にも優しいのだ。日本列島で自給できる可能性がいちばん高いのが、米と水産物なのだから。現状では今回の小アジ(マアジ)などは、ある程度の量が必要だし、大きさを揃えて、いろんな魚の間から選び出さないとダメだ。そんな労力をかけてもほとんどお金にならない。結局、魚粉に化けて二次的に人の口に入ることになる。おいしいのにもったいないこと甚だしい。さて、お菓子屋さんでもらった紙袋(かんぶくろ)に片栗粉と一緒に放り込んだのをがさがさ揺らし、ぱらぱらと油に落として、二度揚げする。じゃがいもも一緒くたに放り込んだので、技と言えば最初は低温から中温に、仕上げは高温で揚げただけ。これを、またまたお菓子屋でもらった別の紙袋に入れて、塩を振って食べ始める。ここでコショウを振ってもいい。小アジだけだとなんとなく単調だけど、じゃがいもと一緒だと、まったく飽きが来ない。午後2時半に食べたのだけど、腹持ちがいいのでまんじゅうに手が伸びなかった。満足感が高いといってもいいだろう。紙袋の合わせ目に入った小アジの破片も食べて、凍頂烏龍茶で口の中を洗う。ちょっとダウンしようか、それとも仕事の続きをしようかな、っと。

どちらかというと貧困なので、国産のワカサギの佃煮は買えない。当然、手頃な生のワカサギが来たら佃煮を作る。ついでに言えば、帰宅したら間髪を入れずに佃煮を作ることも大事だけれど、遠い遠い青森小川原湖から来たんだね、なんてワカサギさんたちに話しかけるのも大事だ。ちなみに佃煮の作り方は簡単である。味つけは自分好みに、水を使わないこと、焦げ付かせないことだけだ。「私にも作れます」と思って作ると作れます。さて、今回はちょっと甘かったかも、でも甘い方がご飯が進むし、でも、でもデブにご飯は禁物だし、人間万事が万事、難しいものである。こってり味つけしているのに、柔らかなワカサギからはキュウリウオ科独特のきゅうりに似た風味がちゃんとする。ちゃんとはらわたはほろ苦い。ボク的には酒のつまみではなく、ご飯の友である。今回は残り少なくなった、奈良県十津川の番茶をていねいに煎り、熱々にいれた茶で、茶漬けにした。一合では、足りんとぞ、思いける。

今回は「みそたたき」がテーマではあるが、みその話でもある。去年、今年と冬の南会津(福島県南会津郡南会津町)に行った。日本全国どこに行っても、もちろん最小限ではあるが、みそを買うので、南会津では2つのみそ店でみそを買った。南会津町『ハローショップみどりや』で朝ご飯のみそ汁を御馳走して頂いているので、みその味の南会津での方向性はわかった上で(もちろんボクの勝手な思い込みだが)買った。話は逸れるが、最近(ボクの最近は5年前まで)、テレビでみそのソムリエ的な若い方を見た。愚かしいなと思った。みそはそのまま食べて、料理して、みそ汁にして、結構長い間使わないと良し悪しがわからない。人間の人生の長さでは、自分のみその好みを理解するのがやっとなのだ。食べ歩きの達人にはがんばればだれでもなれる。そんな感じでみそを語っている気がする。だいたいこのソムリエとかマイスターとか、匠を本来とは違う分野で恥ずかしげもなく自称する人間は、変だと思う。しゃれとかお遊び気分でそのような言語を使うのはいいけど、それを本気で使うのは下下、だろう。閑話休題。この南会津のみそは非常に優れているが、使い方の方向性が狭いと思った。みそ汁を作るとき最初から溶いておいて、煮込んでもうまいし、焼くためのたれ(田楽、みそ焼き)もいい、でもそのまま食べてもそんなにおいしくない。今回作った「みそたたき(なめろう)」向きではないのだ。ちなみに南会津は会津ではあるが、日光(京・鎌倉・江戸)に向かう途中の地域でしかない。現南会津は、蘆名氏時代から会津との関わりがあると思うけど、別の地域と思うべきだ。みその麹分や塩の量も買った範囲で考えると違っている。そして神奈川県相模原市の八百屋さんで売っている、東京都町田市の『井上糀店』のみその話になるが、こちらは煮込むと弱いし、みそ汁を作るときは気をつかわないとダメだけど、そのまま使うと俄然いい。このみそは、まだ2年しか使っていないが、「みそたたき」に使うととても味わい深いし、味に膨らみがあると今回改めてわかったことになる。そして大分県産イサキの「みそたたき」に『井上糀店』は最上級の組み合わせだと思った。イサキの身には脂があるので、みそでたたいてもとろりとしている。そこに穏やかな麹のうま味が合わさると非常にいいのである。イサキがウマスギだったのもあるが、「みそたたき」はみそを選び、それがぴったり合ったといった感じだ。今回は「みそたたき」の話ではみその話に比重が行く。わかりきったことだけど、「みそたたき」は日本各地のみそで味が変わる。過去のみそのデータを整理しなおさないとダメだと思った次第である。

初タカベは東京、もしくは関東だけの話だけど、夏の季語である。上京したばかりのとき見た、塩焼きの炎が今も記憶に残る。一緒にいた大人は、すぐにその炎の原因物質である魚を注文している。未成年なのにボクもその魚、タカベをもらい、ビールを飲んだ。八重洲口の狭い露地でも焼いている炎を見ているし、銀座でも見ている。東京でタカベはそんな魚である。一般家庭なので炎を上げて焼くことはできないが、表面に泡立つ脂はタカベそのものである。非常に強い味で、独特の脂の風味も非常に強い。身の味なのか、脂の味なのか判じ得ないところがある。食べている限り、この強い味が口中を満たし続けるので、どうしてもビールが欲しくなる。枝豆以上にビール、という魚はタカベ以外ではサンマだけだ。毎年、「初タカベ 歳も半分 過ぎにけり、と思う。

3歳になったばかりの6月のクロダイに味はあったけど、脂はなかった。いろいろやったなかにポケ(ポキ)がある。ボクのポケは赤道の南にある町で、地元の方と、フィリピンの方と、バングラデシュの方とコーラと酒を飲み飲み教わったものだ。4人の中でポケという人とポキという人がいた。基本の材料は魚と、ねぎと胡麻油と醤油だ。なぜネギなのか、熱帯でいちばん高いのが野菜であって、ネギを使うと少量でいいためらしい。ちなみにそのとき町のスーパーでは、リンゴ1個が日本円で800円、レタスは1000円を超えていた。今回はクロダイを細かく切って胡麻油と醤油、甘いトマトとネギだけ。フィリピンの方はティティレムという葉を散らすと言ったものの、たぶんミカン科の植物の葉だけど、そんなもの望めない。今回、熱帯生まれ熱帯育ちの地元の方にいただいた、自家製キダチトウガラシのペーストを耳かき程度に入れてある。胡麻油と醤油を使っているのにも関わらず、ちゃんとクロダイの味が浮き上がってくるし、脂のないところは胡麻油が補ってあまりある。クロダイの本来の味を生かすとか、生かさないという話以前に、端的においしい。パンにも合うし、意外に冷たいそばにのせてもおいしい。酒にも合うが、酒の種類さえ選ばない気がする。

煮干しでとっただしのラーメンはほぼ和風だけど、ほんのちょっぷり中華風でもある。このような和のだしのラーメンは北陸、中国地方など日本各地にある。とても好きなのだけど、問題は、自宅でも同じ物というか、以上のものが作れることだ。今回の相模湾二宮定置揚がりの、ゴマサバ子煮干しのラーメンなど、たぶん知らないで食べたら、なんじゃこれは! と驚くはずである。出し過ぎただしの多重構造的なうま味、終いに残る苦味が、醤油(今回は薄口醤油)と一緒になると無類の味になる。スープの材料は醤油と煮干し出しだけなのに、濃厚かつ最後までだれない味となるのだ。中華麺と一緒になっても存在感を失わない、完全無欠のラーメンになる。しかも胡麻油とコショウという、2つの油・香辛料であっと言う間に中華風になるのだから不思議だ。ボクが田舎から送られて来た、煮干しでだし取りを失敗して作り始めたものだけど、失敗こそが日常生活の財産を生む。

神奈川県二宮定置だけの現象だろうか、春から初夏にハシキンメの若い衆と、赤ちゃんがとれる。なぜ二宮沖だけ、とれるんだろう?真鶴町福浦でも小田原市江ノ浦でもとれていないと思う。頭ばっかり大きくて、まるで漫画のキャラクターのようだし、だるまさんのようでもある。大きくなるに従い、深場に移動する。親は正真正銘の深海魚だ。わたを出し、片栗粉をまぶして二度揚げすると、ポテトチップスよりも小さく、形はポテトチップスを食べた後の袋の中に残ったポテトチップスみたいだ。口に5、6尾放り込むと、軽い、やたらに軽い食感でしゃわしゃわする。香ばしいし、しっかり魚の風味がするし。問題はどこかしら儚い味であることだろう。50尾以上揚げて、皿に盛っては食べて、盛っては食べるが、食べた気がしない。ものすごくおいしいのもあって、なくなるその瞬間に涙がこぼれてきた。ウマスギだ、けどハシキンメの赤ちゃんは小さすぎる。でもウマスギだ。できれば1人前100尾くらいにすべきだった。

関東で、体長30cm(全長34cm)・799gはまだまだ「かいず」だという人と、ちゃんと「くろだい」だという人に分かれる。細かな区分は人によるが、まあ今回の個体は雌でなので、3歳だとしてクロダイと見た。産卵前だった。相模湾では5月に体長35cm以上の大型魚が大きな卵巣を抱えていたが、東京湾の1年遅れの個体は、これから産卵するようである。背中に厚みがないので、上等ではないと見たが、関東での季節による味の変化を見ているので買ってみた。クロダイにはまだまだわからない点が多いので、数食べてデータを取るしかない。野締めに見えるが、非常に鮮度がよく、身には黒い筋が見えるものの、全体としてはキレイである。さすがに近場、東京湾で揚がったものと言えるだろう。思った以上にしっかりした身なので薄めに切りつけてみた。とても味があるが、その味のピークが短いのが欠点といえば欠点かも。少し舌に乗せておくとだれを感じる。ただ、体に張りがなくても産卵前の身なので悪くないことがわかる。

もちろん個人的にだけれど、イワガキは出始めが好きだ。味的にも、軽く、しかも濃厚に、と真逆が同舟しているのが特徴だけど、出始めの方が、軽い味で若々しく、身(軟体)が元気な気がする。今回の五島産など実に若々しい。もちろん強いうま味と、薄く広がる苦味が口いっぱいに広がるうれしさよ、なんて叫びたくなる。その後の貝柱などの強い食感が心地よい。個人的には最初の濃厚よりも、後の食感が好きだったりする。要するにイワガキの味は複雑多層構造的なのである。今回は本の隙間から出て来た、角ハイボールで舌を新しくしている。イワガキが喉を通り過ぎた後のスーハーするところに、角の味が合う気がしてきた。逢魔が時 岩さんおいで 一人飲み

小学校低学年のとき、いとこい(夢路いとし・喜味こいし)のよさがわからなかった。高学年になって好きになったのだけど、評論家で小説家、小林信彦の述べるところの、0.5秒のよさ、平坦な芸の真味がわかるようになったのだと思う。変な例えを初手から長々と、だけど要するにワカシ(ブリの幼魚)のよさは、若いとき(小学校低学年)ではわからないもので、人生の道のりを経てわかるもの、だ。歳のせいもあるけど、最近、持ち帰ったその日とか翌朝とかのワカシが、とても好き、好きすぎて困っている。だいたい、刺身がよいのである。脂があるわけでもないし、食感などほとんど望めない。ちょっと酸味があって、なだらかなうま味が後に続く。山場のないドラマのような味だけど、ついつい箸が伸びる。この平凡なよさがわかるようになって、初めて魚の真味を知った気がする。ついでにいうとワカシの味のよさがわかったとき、魚の味に順番をつけるバカらしさとか、愚かさを知った気がする。

徳島県美馬郡貞光町(現つるぎ町)の家では煮干しが基本だったので、素麺のつゆも煮干しでとっていた。今回は二宮定置で揚がっていたゴマサバ子の煮干しで素麺つゆを作り、いつも疲れ果てている昼下がりに素麺を食らう。つゆは前日から冷やしてある。薬味はねぎとしょうがだけ。ちょっと手間をかけて天ぷらを揚げるなんて気力がない。みりんと薄口醤油と塩だけのつゆなので、非常に軽い味わいである。食べたときの感じは軽いけど、ゴマサバの子はカタクチイワシとは違う味である。煮干し(カタクチイワシ)と同じように鋭角的なピークがあるが、すこしそのピークの幅が広い。奥行きのある味である。ゴマサバ子で作る意味はこの広いピークかも知れぬ。毎年、時季最初の冷たいつゆは塩分濃度が決まらない。ちょっと塩足りないかな、というのが今回の反省点である。蛇足だけど、すだちがまだ高くて買えないのも残念。昨年も同じ事を思っていた自分がいる、これが季節という形のないものの持つ意味なのだ。ちなみに素麺は、我が家では親の代からの徳島県美馬郡つるぎ町半田(現在では同じ町)の杉本手延製麺である。考えてみると、商店街の我が家ではみそ汁に入れるのも、温かいのも、冷たいのも杉本製麺しか使ったことがない。故郷から取り寄せる素麺は、ボクが死ぬまで変わらないかも知れぬ。

今どきとれる小イサキは、生まれてちょうど1年なのにちゃんと生殖巣が膨らみかけている。体に縞模様があるので、この小イサキを「瓜坊(イノシシの子供のことで、イノシシの子の模様に似た模様があるため、などの説がある)」という。たぶん8、9月には産卵に加わるのだと思う。イサキはませた魚で、早熟なのである。片身がちょうどいい大きさで、皮下に薄らと脂が見えるのは、うんとたっぷりエサを食べているからだろう。いろんな魚の下敷きになったものも含めて、健康で固太りの小イサキの刺身はとても美しい。今の時季の成魚には皮下に脂の層ができ、身にも混ざり込んでいるので、味が重い。1歳イサキは味がスイスイスイダラだった、ほーいのほーいと軽い。軽いけど味は濃いし、脂の存在はちゃんと舌のざらつきとして残る。いくらでも食らえる。「松みどり」を飲み飲み、二宮定置のみなさんにはお礼に1尾あたり1万円さしあげてもいい、と思ったものだ。この1歳イサキというものは滅法うまいものだが、意外に人の口には届かない。神奈川県小田原あたりなら、一歳イサキ、食えるんじゃないかな?

今年も東京で「竹の子」と呼ばれているウスメバルを淡竹(ハチク)とたいた。去年も淡竹だった気がするが確かめていない。初夏らしい味、それが「竹の子目張」である。この言葉は料理名でもあるが、ウスメバルを指す呼び名でもある。由来はウスメバルと竹の子との相性のよさからである。ウスメバルはとても上品な味だが、それはうわべだけだ。濃厚な味わいが、通奏低音のように確かに存在する。ウスメバルの基本的味の土台は上品に見えて濃厚なのだ。また、魚の味で重要なのは筋肉(身)の繊維である。適度に繊維質でほぐれるからおいしい。繊維がしっかりしていないと、ぼろっとしてちっともおいしくない。この程よい繊維の存在があるから身離れもいいのである。さて、主役のウスメバル以上においしいのが竹の子だ。もちろんウスメバルの味を吸収したためのうまさだが、竹の子と合わせる魚には合う合わないがある。「竹の子目張」なわけは、グッドカップルな点にある。食べる度に主役は竹の子に違いないと思っているけど、竹の子を食べ過ぎるのは厳禁である。ウスメバルの味を吸収した竹の子はできれば半分は残して置きたい。竹の子だけを別の器に移して黙って出すと、食べた人がびっくりして仰天するかもしれない。牛肉でもない、鶏肉でもない。遙かに相性のいい何かと出合った末の、おいしさが竹の子にある。竹の子と結婚したのは何? と思うだろう。そこで生まれた言葉が「竹の子目張」だとも思っている。

6月の麦藁イサキを前に言うことなし。あれこれ語ってもしゃーない、気がする。刺身の血合いの色がにぶいのがいい。時期外れの鮮やかな血合いの赤を愛で、塩と柑橘なんどで食べるのもいいが、王道ではない。6月のイサキの刺身は電車道、ずんずんと押し切られ圧倒されるの味なのだ。脂の口溶け感があるのに、ちゃんと岩礁域にいる魚の味の個性が感じられるのである。ちなみにイサキは1㎏を超えるととても手が出なくなるが、500gあれば十二分にうまいし、この時季なら2、3百gでもうまいのである。季節に逆らわないで素直に6月の味を楽しむ、それこそがボク流でもある。ついでに作った、焼霜造りだけど、こっちから食べると、素直にイサキと向き合えなくなる。くどいようだが、旬のイサキの、ずんずん真っ直ぐ電車道で押し込まれるところを、無駄ないなしをするが如くになる。要するにうますぎるのである。昔はうますぎて何が悪いと、居直っていた。少し病なので曲り曲がった表現をさせてもらうと、サウンド オブ サイレンスはギターだけのポール・サイモンのソロを聴いてから、エレキギター入りのデユオを聞く方がいい、と思うのと同じだ。これで、部屋の片隅で見つけた角ハイボール350ml缶をやり、ソロで快気していないのに快気祝いをする。

6月2日、待ってました「どんちっちアジ」である。最近はマアジばかり食べているような気がするが、「どんちっち」には思い入れがある。島根県浜田市、島根県水産技術センター、旋網船主のみなさんで作りあげてきた、ある意味傑作である。脂質測定法を確立したり、奮闘努力の甲斐があったと思う。あとはアジがどっさりとれてくれるのを待つのみだ。さて、ボクの今季初ものはこの日の夜楽しんだ。毎年書いていることだけど、「どんちっちアジ」は皮を剥いた途端に室温で溶け始める。「泣いているのかい?」、なんて言いたいくらい濡れてくる。舌に乗せたとき、最初は存在感を感じないのは脂が大量にあるためだ。甘味というのは呈味成分だけではなく、溶けるという物理現象から来る。甘いな、と思った後に、ちゃんとマアジの背の青い魚特有の強いうま味がくる。味が途中で消えない。殷々としてうまい。半身で「松みどり」を正一合だけ飲んで、かなり気分が上昇する。朝っぱらから続く微熱も消えてなくなる。「どんちっちアジ」は薬だな。

6月2日の今日、上野原のトラック行商の太田さんと、朝っぱらから立ち話をしていて、「肉もくわなきゃーなんね」という話になる。ここ数日、熱が出て、ときどきお腹が痛いなど不調だ、という話から、立ち話し始める。ボクの日常生活は自宅にいる限り、肉(鶏・豚・牛)を食べる余地がない。尋常ではない量の水産生物を買っているので、いかに効率よく水産物をおいしく、飽きの来ないように食べるか、粉骨砕身している。肉は外出時のみで、めったに食べない。今のボクに必要ななことは、肉をもっと食べるべきかも知れないね、という話である。要するに老人的な老人話だけど、我ながら日々不安である。そして、5月24日に食べたのが、カツオのあぶり漬け、である。醤油と少量のみりんに48時間漬け込んでいるので、そのまま食べられる。室温が高くなってきているので、刺身だと皿の下に保冷剤を敷かなくてはならないが、それも不要。資料を読みながら、酒をなめながら、思いついたら一切れという感じで食べる。ひときれにみょうがとにんにくを乗せ、すだちを垂らして口に運ぶ。2㎏少しの小ガツオなので脂はそんなにないものの、赤身らしいうま味が口に広がる。このぎょうさんなうま味を少しずつ酒で流す。トンカツと揚げ物の歴史の本を読みながら食べても、トンカツが食べたくなったりしないのが、カツオの味の強さである、と気づきもした。いつもメモを見ながら書き直しているのだけど、カツオは肉に代わる存在かも知れぬ、などと思ったもんだ。

活魚とはいえ、5月の宮城県産のイシガレイは微妙である。イシガレイは産卵期が長いのでマコガレイなどと比べて旬がはっきりしない。時季を読むのが難しい。慎重に選んで、よしと見て買い求めた。実際下ろしてみると脂がある。カレイ科の魚の脂はのっているときでもべったりではなく、指についてもさらりとしている。しかもまだ身がしまっていない。あまりにも新しすぎるので、下ろして夕方まで寝かせた。後は薄めに刺身に引くだけである。食べてみて、はやりイシガレイは活魚に限ると思った。食感がよく、それだけでおいしく思える。その後から来るうま味も豊かである。こくがあるのは脂があるためだと思う。カレイ目にはスダチが合うので、買っておいたのも正解だった。醤油・わさびもいいけど、塩・すだちもいい。今季初イシガレイに初夏を感ず、だ。イシガレイはあまり一般的ではなく、食べたことがある人はとても少ないと思う。ただマコガレイと比べるとお買い得なので、活魚を見つけたらぜひ刺身をお試し願いたい。

釣り餌用の皿丈(さらたけでスルメイカの子供の三重県熊野地方の呼び名)を勝手にもらってきて、丸ごと揚げようとして大失敗する。30g前後の小イカのゲソを抜き、消化中のものなどを流し、ゲソをもう一度体の中に入れて、水分を切り、焼き串で四方八方から突き刺す。小麦粉をまぶして分厚い衣をつけて中温で揚げる。順調だったのは始めだけ、部屋中油まみれになるし、飛んできた油に襲われるは……。だまってもらってきたのでバチが当たったのかも。二度目の挑戦は丸ごとゆでてゲソを外して、消化中のエサなどを、ていねいに洗い流す。とにかく墨とワタだけ体内に残してゲソを体に刺し込んで、焼き串で徹底的に突き刺す。念のために少し置いて水分をよく拭き取るなどする。小麦粉をまぶして、厚めの衣をつけて中温で揚げる。形は不格好になったが、無事揚がる。

最近、自分の中に酢愛が多すぎて困っている。必ず酢のものを食卓に、がボクの日常である。マアジを酢締めにするのは日常茶飯事となっているのも酢愛からだ。今回のは酢締めというよりも、酢で洗っただけ。2尾なのでたっぷり食べたいだけ食べる。この日、マアジとマルアジの刺身を食べているのに、酢洗いを食べても、刺身の延長戦とは感じない。今回のマアジは脂がのっているので、生酢でしめても味にこくがある。2尾分作って半合の酒で、全部食べきって仕舞いそうになるのを我慢して半身分残す。それにしても酒に合う。夕方、半合の酒を飲み、資料読みをする、のが最近のボクでもある。〈人の問いたるに 知らずしも〉などと、時間を消費する。

ウミンチュにテラジャーを送って頂いた。標準和名をマガキガイという。房総半島以南赤道を越えて、ニューギニア、オーストラリア北岸に広い生息域を持つ。高知県で生まれたチャンバラガイという呼び名が有名だが、実はこの呼び名は非常に新しい、作られたものでもある。この面白い呼び名から高知県が代表的な産地であるかのように思う人が多くて困る。国内でとれる量は非常に少なくなっているが、それでも伊豆半島などでも、紀伊半島でも、高知県以外の四国、九州でもある程度とれている。たぶん国内でいちばん漁獲量が多いのは沖縄県だと思う。またフィリピンなどから輸入してもいる。マガキガイの仲間であるソデボラ科(スイショウガイ科)はすべておいしいが、本種とシドロガイがいちばん北に生息域を持つ。漁獲量がいちばん多いのはマガキガイである。当然、おいしいソデボラ科の代表といった存在になっている。

兵庫県明石市は歩くのが、とてもとても楽しいところである。例えば山陽本線明石駅から南に下ると海に出る。そのまま西へ西へと歩く。そこは商店もあるけどどちらかというと住宅地といったところで、このあたりを材木町といい、また海を目指すと港町、岬町に入る。このぐちゃぐちゃした町と町並みが好きだ。おいしい玉子焼の店があり、いいすし屋がある。オバチャンがやっている喫茶店に小さな魚やなどなど、また歩きたいな、とぞ思う。さてその海辺にあるのが明石浦漁港で、今回のマサバはここから来ている。ここに水揚げされる魚は原則的に活魚であって、当然、今回のマサバも活け締めである。明石浦というだけで、とりあえず刺身にしたのは、ここで水揚げを何度も見ていて、場内が全部活け場であり、締め方が完全無欠だからだ。明石海峡ではあまりたくさんはマサバがとれない。水揚げが増えたのは最近のことではないか。体長34cm・679gの雌で、大きな真子を抱えている。三枚に下ろすとじんわりと身が反る。血合い骨は抜けるが皮が硬くて剥きにくい。お昼ご飯に薄めに切りつけて、柚子胡椒に、柑橘のすだちを添える。柑橘柑橘なのは徳島県人の性である。一切れ一切れにちょんちょんと少しだけ柚子胡椒を乗せて、すだちを搾って食べる。ちなみに真横に、ご飯はあるけれど、ご飯の友ではなく、刺身と凍頂烏龍茶でしみじみ、じっくり味わう。やはり脂がないために味にこくはない。でもマサバらしい味が豊かで、食感が強くて、一切れにドラマがある。この脂のない時季に、脂のない個体のよさを感じることができることこそが、自然そのままを楽しむことでもある。

塩コショウしてラップしておいたアジフライ用の中に、干もの用に背開きにしたものが混ざっていた。一緒に作ったので、こんがらがったのだ。ボクは意味もなく、かなりの確率でフライは腹開き、干ものは背開きにしている。もちのろん、逆もある。まあこんなこと、ドッチャでもええ、と思っているというか、大雑把なボクは何も考えないでそうしているだけ、だというか。世に棲んで、人に迷惑や危害を加えること以外はオールアウト! なのだと開き直る。だいたい細かいことを気にするって無駄だと思う。冷凍保存しておいた、塩コショウし、開いたものは室温で戻して水分を取る。小麦粉をまぶし、溶き卵をまとわせ、パン粉をつけて中温で揚げる、だけだ。下高井戸においしい鮮魚を使ったアジフライがあるけど、自分で揚げたてを食べる方がそれ以上だと思っている。要するに、いちばんおいしいアジフライは自家製なのだ。アジフライはいつもいつも、いつ作っても、おいしすぎるので、あっと言う間に食べてしまう。香ばしさよりも、マアジのうま味、青魚特有の個性がでしゃばっているところがええ。マアジは目立ちたがり屋だけど、目立ちたがり屋でも珍しく嫌みがない。最近、そのような俳優がいるが名が出てこない。その上、今回のは脂があるので味にこくがある。やたらにインパクトのある味なのにいくつ食べても腹五分目で、ついつい食べすぎる。最近、もちろん、なんとなくだけど、最初にアジフライを作ったのはマアジの開き干しを作る会社の作業員じゃないかな? と思っている。失敗作をまずは天ぷらにして、若い世代がカツレツ(とんかつ)みたいにパン粉をつけて揚げてみた。なにはともかく、とてもアジフライを考えた人はエライ。

今、都内でもっとも手に入りにくいのが小魚の干ものである。あるとすればウルメイワシとカタクチイワシくらい。ボクの故郷、徳島県などでは海辺の町で様々な干ものが手に入ったもので、それが懐かしいのもあって、小魚の干ものを積極的に作っている。過去のデータをみると、時期はずれるけれど、ゴマサバの子はなんども干ものにしている。我が家の干ものは非常に塩分濃度が低く、硬く干しても塩気が少ないので、もの足りないという人がいる。ただ硬く干してあるので水分量が少なく、その分うま味が凝縮している。あぶったものを噛みしめながら食べると、後から後から味が波のように押し寄せてくる。お茶と一緒に食べても止められず、ビールと一緒に食べても止められない。今回はゴマサバの子のうまさを再度痛感した、そんな初夏のような5月の初旬だった。

山口県日本海側は「アジどころ」である。「アジどころ」というのはおいしいマアジが揚がる地域という意味ではなく、干もの業者が買い付けに回る地域のことをさす、ボクの造語である。干もの業者は何十トンものマアジを仕入れるのだが、仕入れ先は、島根県、山口県、佐賀県、長崎県、愛媛県、量的には落ちるが宮崎県や鹿児島県である。この地域で揚がるマアジの特徴は脂があることである。「アジどころ」、島根県にも厳選した、「しまね定置もん」や「どんちっちあじ」があるが、たぶんそれより昔々からあったのが山口県日本海側の「瀬付きあじ」である。回遊しないで瀬に居着いているマアジのことで平均して脂がある。萩に行った時にも食べているが、外れなしの魅力的なマアジである。久しぶりの「瀬付きあじ」は体長24cm・230gなのでちょうどいい大きさである。大急ぎで朝ご飯用に半身を刺身にして食べた。夕ご飯にも半身食べたので、1尾丸ごと刺身、刺身だ。木曜日に手に入れた止め(前日入荷)なので食感は落ちているものの、ごっつ大きなうま味が舌に広がり、その後に脂の口溶け感が来た。脂を甘いと感じるのと、ご飯の甘さがよく合う。止めと言っても、鮮度がいいので魚臭さはまったくなく、ショウガなしで食べても非常においしい。やはり水氷(塩水に氷を加えた中に魚を入れて輸送)は優れものだ。さて、これより8月くらいまで「瀬付きあじ」はとれるのだろう。並アジだって、悪くないが、ちょっとだけ贅沢して「瀬付きあじ」の日々が続きそう。

料理は平凡で日常的なものが好きだ。大仰な料理は自宅ではやるべきではないし、やってもその大仰に見合うほどうまくもない。飾り気が多い、盛りだくさんの要素がある料理はやらない主義のボクには、季節ごとの、季節に見合った料理しか作れない。今回の淡竹となまり節など日本のどこでも、普通に、日常的に作られていたものだ。煮物はディスクに座って作業しながら作れるのがいい。15分ほどで煮染まってきたので、追いみりんして味を調えて、もう5分煮る。この間の味見がとってもボクは好き。ご飯なしで煮上がりを食べる。これが茶の子(香川弁かも。お茶の友のこと)になるから不思議である。このとき注意すべきは煮汁はすくわないことだ。煮汁が少なくなると保存しにくくなる。それと、なまり節と淡竹の比率である。今回の場合、同じくらいのおいしさなので、意識しないでも半々の比率だけど、片方がうますぎるときに半々にするのは難易度がかなり高い。これが白飯に合うのである。これに漬物があると最強だが、今回は近所の老夫人が作っている虫食いだらけの蕪の漬け物である。虫が食うくらいなので、いい味のいい小蕪である。基本当座煮(少し保存しておけるおかず)であるが、もって半日でしかない。ちょっとだけ虚し悲し。

今回、鈴木さんが送ってくれた中に、コウイカとカミナリイカ(モンゴウイカという地域が多いが、輸入ものもモンゴウイカというので要注意)が入っていた。専門的になってしまうがAcanthosepion属2種が揃い踏みというのは非常にありがたい。外套長19cm・687gで若い個体である。2㎏以上になる大型のイカだが、あまり大きいものよりも、この程度がいちばんボク好みだ。初日はまずは刺身、そしてゲソの塩ゆでにする。このサイズは扱いやすい。水洗いしてていねいに皮を剥く。剥きやすいのが魅力である。しかもコウイカ類は肉厚である。ちなみに今、カミナリイカもコウイカも漁の最盛期である。さて、柔らかくてイカ特有の甘さが楽しめるのが魅力である。うんとうまいし、後味がいいので切り落とした部分がもったいなくなるくらいに、なくなるのが惜しい。

江戸時代の初鰹は4月・5月(旧暦)に相模湾でとれるカツオのことであった。新暦にすると5月下旬から6月半ばくらいまで。大きさは2kgくらいが多かっただろう。今回のカツオも2.1kgなので江戸時代に初鰹として持てはやされたサイズだ。今では相模湾だけではなく日本全国から時季を問わず、このサイズがやってくる。相模湾の例えば鎌倉(現神奈川県鎌倉市)で揚がったら、足の速い若い衆が水をかけながら走ったとしても、それほど冷やせないまま、65㎞として10時間近くかかったはずだ。さて、現在、中央市場など市場の休日は水曜日と日曜日である。基本的に前日にとれたものを仲卸などで販売するが、木曜日は微妙である。火曜日に水揚げされたものである可能性があるからだ。ただし、今や流通の発達から鮮度からすると、飛躍的に向上している。本個体は火曜日水揚げと見たが、非常に鮮度がよく、血液がさらさらとして見事である。魚はばっきばっきに鮮度がよいからよい、とは限らない。これで十二分にいい、のだ。しかもそれだけ安い。江戸時代に3両(いろいろ説はあるけれど最低30万円〜60万円くらい)払った三代目(?)中村歌右衛門に食べさせてあげたかったくらいである。2㎏ものなのでそんなに脂はないが、このあっさりと軽い味が矢鱈にいい。酸味があまりなく、強いうま味だけが舌に残る心地よさは例えようがない。古今亭志ん生、金原亭馬生は刺身といえば中トロ(クロマグロ)だったという。ボクはカツオだな、なんて思う。調べものが多すぎてへこたれているので、大量のにんにく、醤油に少量の煮切りみりんで、背肉の全食いである。夕方なのに神奈川県松田町「松みどり」を半合。しばしベッドで奥州史の世界へ。

いつでも食べられると思うためか、ガンゾウビラメの味のデータがあまりない。旬はヒラメと同じで、寒い時季から春までだが、5月はだめだろう、と思っていた。今回、鈴木さんが送ってくれたのは一色産だと思うけど、案の定、膨らんだ真子を抱えていた。ただし、身に厚みがある。何はともかく、刺身にしてみたが、思った以上に味がある。ヒラメ科の魚は産卵が近づきすぎるとすとんと味がなくなるけど、5月17日のものは多様なアミノ酸がこんがらがった強い味が舌の上で続く。ガンゾウビラメは寒い時季でも脂をそれほど脂の存在を感じない。とすると5月のガンゾウビラメは上等という事になる。わさび醤油と一味唐辛子醤油では、後者がボクには好みだった。あまり華やかさがない味なので、少しピリッが味のアクセントになる。それにしてもガンゾウビラメ、オヌシあなどれぬヤツよな。

石川県産マイワシは3月くらいからずーっと入荷が続いている。4月中旬のものは子持ちで腹が少し柔らかかったが、今回のものは硬く孕んでいない。ボクはマイワシの本当の意味での豊漁期を、データをとっては体験していない。初めての豊漁体験、豊漁の味のデータとなる。さて、たぶん石川県富山湾側でとれたマイワシの腹は硬く、刺身にしてもしっかりとして硬い。これを小鉢に入れてショウガとミョウガを乗せて、醤油をかけてかき回して食べる。2尾分で朝ご飯にしたら、刺身が温かいご飯の上で溶ける。半溶けの刺身、飯かき込むうれしさよ、温い風。どことなく、脂ののったマイワシの刺身は初夏の味だと思っていた。4月までは脂がのっているが、5月に空白期が生まれる。6月になると太平洋側の第一弾の群れが入ってきて、そこそこ脂が乗っていた。この空白期が消えたことになる。気象庁の春なのに、気温は初夏とは残念であるが、ヒトが春と秋を削り取ったのだから、ヒトであるボクも文句を言えた義理ではない。5月20日に初夏(はつなつ)となりにけり、だ。世の中暗いことだらけだけど、マイワシだけが明るい話題だし、うまい。

ポルトガル風としたが、これはボクがポルトガル料理店で食べた料理にヒントを得て作っているだけで、本当にポルトガルで作られているものではない。大量の野菜にクロダイの身が混在しているもので、これを取りもっているのはオリーブオイル(サラダ油でも結構)とにんにくである。テーブルでオイルをかけ回し、混ぜて塩胡椒で味つけするというもので、一般家庭でやると華やかだし、盛り上がると思う。ウルトラC級に簡単で日常的な料理でもある。一般家庭の料理はとにもかくにも簡単に。白身魚というものは塩焼きにすると背の青い魚以上に臭味がある。魚が好きすぎてこんなところがわからない人がいて困るが、これを大量のにんにくと胡椒で消し去ってしまう。実に食べやすい上に大量に野菜が摂れる。このおいしさの表現が難しい。サラダにハムを入れるようにクロダイを入れる、という意味ではなく、野菜にクロダイの持つ味を加えるという感じだろう。大量に作っても、あっと言う間に消え去ること請け合いである。もちろん魚はなんでもいい。

ボクのモットーはできる限りではあるが、季節や気温などに逆らわないで生きること。できる限り、生き物やエネルギーを浪費しないことだ。葉玉ねぎが出たら買い、新玉ねぎが出たら買う。その年の玉ねぎが干し上がったら、初夏だなと思うことも忘れたくない。産卵期の親サワラではなく、若い個体であるサゴシにはあまり季節感はない。年中安定しておいしい。これも喜ばしいことだと思ったりする。さて、そんなサワラの若魚であるサゴシと新玉ねぎの煮上がりは、見るだけですぐには皿に盛らない。煮汁に手が入るくらいに冷めたら、ちょっと柔らかめなので、そーっと手で皿に移す。煮上がりよりもこの時間こそが料理で、よりおいしくしてくれるからだ。今回は甘こってり濃厚ではなく、あっさりした味つけを心がけた。新玉ねぎの甘さを生かしたいからだ。今回の煮つけはあまり塩分濃度が高くない。でも味が強く感じられる。サゴシのおいしいところがいちばん手前の方で感じられる。なにしろ身が矢鱈にうまいのである。うまいは甘いだけどうまい甘いが順番こにくる。この甘いの中に新玉ねぎの甘いが加わっている。別に甘いもん好きすぎるわけではないけど、甘うまい。ついでに言っておきたいのは、新玉ねぎを一度に食べすぎないことだ。サゴシの味が入った新玉ねぎで大盛りご飯が2杯はいける。新玉ねぎだけで2食の飯が食えるのだから、この料理のコストパフォーマンスは非常に高い。ただし、デブには悲しいおいしさなり。

2010年5月にハエは飛んでいなかった。気温も低かったし、湿度も低かったので干ものは外干しできた。そして2025年、風通しが悪いのもあり、室内で扇風機を回して干す。なんて無風流なんだ。それでも干したてを焼いたら、言うに言われぬほどおいしい。相模湾二宮沖のマアジは、温暖化の部屋干しでも結構結構である。そこそこ脂もある。5月も後半になると、もっともっと脂が乗るが、ボクなど今くらいの脂で十二分である。ボクはどちらかというとカンピンタンでシンシビーである方が好き。強く干しただけ、余計にうま味が強く、身に味があり、後味が甘い。これで三度は飯の友ができた。米の値上がりは痛いけど、ご飯派なので飯の友は多ければ多いほどいい。当分、朝ご飯は二宮沖のアジの開きとなりにけり。

ムツの子、カタクチイワシ、そしてゴマサバの子を食べ比べる前に、順位を想像してみた。1位・ムツの子、2位・カタクチイワシ、3位・ゴマサバの子だと考えた。ムツ子などさくさくしておいしそうだし、カタクチイワシには味があるだろう? ゴマサバの子に何があるんだろう? が想像できなかった。まさか唐揚げ選手権でダントツ1位がゴマサバの子だとは思わなかった。かじりついたときはちょっとだけサクサクした食感で、平凡だったけど、後から味の大波が来たのである。なんだろう? この味のピークは。口に入れてサクサクした後に来る味。内臓は取ってあるので、体幹部分の中心に、その味があるように思える。ゴマサバは「さば節」の原材料であり、だしを取ると、味の通奏低音的な役割になるが、「めじか節(マルソウダ)」のような個性がない。それなのに唐揚げにしてとんがったうま味があるのである。何年魚を食べていても発見がある、のは当たり前だけど、今回の場合は大きくてウレシイ誤算である。

爽やかな風吹く5月のはずが、てんやわんや、やっさもっさの日々が続いている。その上、変に蒸し暑い。そんな5月に、日課のようになってきたのが深夜酒だ。肴を前に、左手に大振りのグラス、右手に文庫本の深夜酒だ。一日を三等分しているのだけど、夜の眠りを2つに分けて深夜1時過ぎに酒を正一合だけ。5月の酒は安くておいしい、神奈川県松田町の「松みどり」である。最近、酒はスーパーに売っているもので、平凡な値段で、自分好みの酒を買い求めている。黄金穴子を強火で焼いて、みりんを塗っただけで、飾り気なしどころか薬味も山椒だけ。皿は鳥取県岩美町、延興寺窯、山下清志さんの新作だけど、黄金穴子の焼き物に似合う。焼き上がりのみりんが焦げた香りだけでも、正一合いけそうだ。焼き物のよいところは腹にたまらないところで、ましてはマアナゴの後ろの身はうま味の塊のようで、ひとかじりが重量級の味である。そこを「松みどり」だけど、このインターバルが長い。酒も肴も時間を楽しむためのものになっている。こんなものが好きになる歳なんだなと思うのも、深夜酒のよさだ。このところ獅子文六を読み尽くしている。『七時間半』を読みながら、ふと、獅子文六は日本のウェストレイクじゃなかろうか、と思って調べると、なんと年の差40歳で、比ぶべくもない。展開の早さは獅子文六の方が元祖なんだと、とかとか。これがボクの毎深夜だ。

昔、ロシア産ズワイガニがお手軽で安くて庶民の食卓をにぎわせていた。近年は突然揚がり始めて、最初はてんやわんやだった、北海道日高地方のオオズワイガニが庶民の味方となりにけり、だ。今回のものは280g前後で、このサイズなら1人前1ぱいでちょうどいい。雌は外子の時季で身(筋肉)が痩せているが、雄はむしろ身入りがいい。

麦イカ(スルメイカの若い個体)は頭をかじられてはいるが、刺身にだってなる。問題ありの売れない水産生物ってとても魅力的なのだ。いつの間にか連れてきたもので、何にしようかな?と考えて、干すことにする。外がぴゅーぴゅーで干もの日和なのである。立て塩は3分なので非常に薄塩である。干ものを作るのは湿度よりも風かも知れない。一夜明けると見事に干し上げっていた。後は焼くだけ、だ。麦イカなので柔らかい。それだってとても魅力的だけれど、干したイカを焼いた香りって、文字に出来ないところがある。濃厚なうま味が舌に広がるのも魅力的だ。こんなに小さな、手負いのイカがこんなにおいしいなんて。魚にかじられてもおいしければ、売ればいいんじゃないかな?

高級魚とされるサワラは2キロ以上で、活け締めでなければならない。大きくても野締めは平凡な値段でしかないし、まして2キロ以下は安い。それでもものがよければ、刺身にもなるし、いろんな料理にも使えて経済的である。今回の熊野市産は野締めではあるが、鮮度がいい上に身に張りがある。切り身にして指でなぞると脂が感じられる。もっとも固体本来の味がわかるのが刺身である。ここから焼いたらどう変化するか、とか、煮たら、というのがわかる。野締めだし、「さごし」だし、当然、食感は望めないが、サバ科らしくうま味豊かだ。思ったよりも脂があるのは、白子持ちで産卵を控えているからだろう。今回は尾鰭近くの身を刺身にしてみたが、やはり細長い魚の尾鰭前の味は素晴らしい。

ヒコ(カタクチイワシ)は子持ちなら天ぷらに、と思ったけど、子なし状態だった。子持ちなら天ぷら、煮つけ。なしなら唐揚げにすることが多い。たっぷり揚げてビールの友にし、深夜仕事のおやつに食べる。今回の唐揚げはふんわりとしてサクっとしているのを期待したが、まったく違った味わいであった。揚げると硬く締まり、少し重い味になった。ただし、よりカタクチイワシらしいうま味豊かなところが表に出たといった感じである。サクッとして口の奥に消えるのではなく、噛み応えがあり、強いうま味が長く続く。唐揚げにもこんな味わいがあることがわかった気がする。明らかに今の時季のカタクチイワシの味がここにあるのだ、と思われた。ちなみに同じ二宮定置の唐揚げでは6月はふんわりさくさく、8月はさくさくだったが身のふくらみはなかった。相模湾だけでもカタクチイワシには多数の産卵群(同級生)がいるので、味の波を考えると、意外に奥が深そうである。

4月から続けている、マダイ丸々1尾手に入れると、ものすごくたくさんの料理が作れるという話だけれど、全部紹介できないで終わりそうである。かなり昔の話になってしまうので、これが最後の1品とする。マダイ料理で今、いちばん好きなのは煮つけだ。ただ、ボクの場合、好みがころころ何度も変わるので、ほんまのところ今だけの話かも知れぬ。ちなみに好みが一生変わらないなんて人間は信用できない。そんな人間は不幸としかいいようがない。善悪と関係ない部分は、好みだけではなく、ころころ変わってこその楽しい人生だと思っている。マダイのかまは塩焼きに、潮煮にした。頭部の吻から鰓蓋までの部分をゴボウとたく。ゴボウは適当に切って、ことこと柔らかくなるまで下煮して水に放ち粗熱を取り、ザルに上げておく。頭部は適当に切り、湯通しして冷水に落とし残った鱗やぬめりを流す。水分をよく切る。これを酒・砂糖・醤油・水の中で煮る。ゴボウのときにはショウガは入らない。もちろんどうしても入れたかったら入れればいい。目の周辺や口周りに、こんなに食べられる部分の多いことに、いきなりビックリ仰天するはずである。この複雑な頭部の骨周辺にある身(筋肉)と皮が非常に味わい深い。内臓でもないのに味の濃度が高い。当然、合いの手に食べるゴボウも、そんじょそこらには転がっているはずのないお宝的おいしさである。この複雑な骨周りの煮つけは食べる時間が長いのもいい。食べるという事は時間なので、こんな煮つけこそ価値が高い。蛇足だけど、できればゴボウは食べない方がいい。全部別の器に移し、残して置いて、ご飯のおかずにする方がいい、のである。めし泥棒、これにありという一品になる。